本を読んでいる途中にその舞台にやってくるというのは、ちょっとおもしろい体験ではある——それが単に空港の乗り継ぎではあっても。ちょうどパオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(ハヤカワ文庫、上下)を読みつつバンコク空港にやってきたので、そんなことを思っているところ。
遺伝子改良に伴う新型疫病が生態系を荒廃させ、地球温暖化により海面が上昇し、石油枯渇でエネルギー源が遺伝子改良型ゾウにより巻かれるゼンマイになっている世界。遺伝子食物メジャーの攻撃に耐えて独立を保つタイを舞台に、隠された遺伝子貯蔵庫をめぐり暗躍する欧米人たちが、産業省と環境省との勢力争いにからみ、そこに財閥再興を企む亡命華僑と自由を渇望する日本製ねじまきアンドロイド少女の思惑が事態を思わぬ方向に動かす——。
遺伝子改良、資源枯渇、気候変動等々、貪欲に時事ネタをぶちこんだ力業もさることながら、その書き方は一昔前のバンコク——そして他の東南アジア都市の現在——の持つ雑然とした感じをうまく再現している。同時に、ここで描かれた国内派閥争いの市街戦は、いまのバンコクでも赤シャツと黄シャツの間で展開しているものだし、結構リアル。あとは、それに絡んでいま展開されているタイ王室の後継争いも入れれば——が、これをやると、とてもおっかないタイの王室侮辱の罪にひっかかってタイに行けなくなるから、入れないのも仕方はないか。ぼくもこのネタをこれ以上詳しく書く気はない。ちなみにこれのおかげで、タイ国内ではユル・ブリンナー主演の名作映画『王様と私』は未だに発禁だったはず。
あと、この国内での勢力争いという点で言えば、いまいるカンボジアで野党が予想外に票をのばし、いま政権での権力分与を求めて連日のデモ。週末には死亡者も出てかなりきな臭い状態で、町中に鉄条網のバリケードだらけで外に出るのもおっかなびっくりだ。小説の中の市街戦も、あまり人ごとではなかったりする。
本の話に戻ると、このパチガルピの小説の中に出てくる日本製のねじまき少女は、日本仕様なもんだから放熱が弱く、暑いタイでは過熱に苦しんでいる。これはあらゆる熱機関につきまとう問題で——というような話もたっぷり出てくるのが、鈴木孝『名作・迷作エンジン図鑑』(グランプリ出版)。これは非常にマニアックな本で、機械工学の先生が世界の歴史的な名作エンジン(あるいは変なエンジン)について、そのエンジンがどういう問題やどういうニーズに応えて生まれたのか、その苦心のあとがどこに出ているか、それにまつわるエピソードなどを、自分の見学体験記を中心に、放談を交えつつ説明した本だ。
ニューコメンやワットの蒸気機関から、ごく最近のものまで自動車、鉄道はもとより戦車、航空機、産業用までありとあらゆるエンジンを扱っている。教科書ではないので書き方はとても気楽。自筆のスケッチやイラストもあいまって、この人が専門家としてどこに注目しているか、何をおもしろがっているかが、素人にも非常によくわかって楽しい。
もちろん、ぼくが楽しいと思うのは、ぼく自身がエンジニアもどきだからではある。通常の人は、そんなものはどうでもいい。それは単に無知だというのではない。そもそも関心がないからだ。でもおもしろさ、楽しさを語ることですこしは関心を持ってくれる人が増えてほしい。本書は、多少なりともそれに成功していると思う。ちょっと見つけにくい本かもしれないけれど、メカっぽいものに興味があるなら手に取って絶対損はないと思う。
ちなみに宮崎駿の『風立ちぬ』でも、たとえば主人公が新型機に沈頭鋲を使ってそれが革新的だという話が出てくるけれど、それがどのくらいすごいのかはほとんど説明がない。工学的な説明よりは、美しいと登場人物たちに言わせたり、イメージ的な処理ですませる。それは一つの見識だし、作品の一般性を高めている。でもぼくは個人的には、昔から宮崎アニメはもう少し工学的な思想を前面に出したほうがおもしろいんじゃないかと思っている(こんどこそ引退するそうだから、「思っていた」と過去形にすべきかな)。
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