若き日の長野五輪珍道中
こういう観点で旅について考えるようになったのは、やはり娘の存在が大きいです。ぼくも子どもが生まれるまえは、バックパッカーとまではいかないものの、かなり適当に旅していました。新婚旅行のエピソードもけっこうあるのですが、それはまたいつか語るとして、たとえば長野オリンピック。
長野オリンピックが開かれたのは一九九八年の二月です。当時ぼくは妻と同居を始めたばかり。二人とも基本的には暇な生活をしていて、いつものように家でテレビを見ていたら、どうやら長野でオリンピックが始まるらしいぞと。しかもかなり盛り上がっている様子でもある。夜中に突然夫婦で盛り上がり、早朝一番のバスで長野に向かいました。
ここで重要なのは、二人ともチケットなんてもっていないということです。会場の場所すら知らない。それでも、現地に行ったら案内が出ていて当日券を売ってると思ってた。というわけで、長野駅前のビジターセンターに意気揚々と向かった……のですが、なんと当日券なるものは存在しないと(笑)。これにはショックを受けました。売り切れどころか、そもそも当日券なるものが存在しない。いま考えればそれはそうだろうという感じなのですが、そもそもぼくはオリンピックになんの興味もなかったので、あらゆることがわかっていなかった。
ダフ屋はいたのですが、値段が高いので諦めて、ぼくたちはとりあえず善光寺を参拝しました。これはこれで楽しく、おまけに夕方は駅前で競技の終わったアスリートがイベントに出ていたりして、それなりにオリンピック感を味わった気もした。というわけで、選手の顔を見たし満足満足、じゃあ帰るか……と思ったら、なんと今度は新幹線の最終が出ているという。夜の九時ぐらいかな。結局、「地方都市やばい」などと愚痴りながら松本まで出て、駅前のファミリーレストランで夜を明かし始発で帰った。バカげた話だけど、こういうアクシデントの連続が旅の醍醐味ではある。けれども娘が生まれてからは、そういう行動はめっきりできなくなりましたね。
コントロールとアクシデントのバランス
ショッピングモールやテーマパークやリゾートホテルを肯定する発言が多いので誤解されがちですが、ぼくは安全で安心な旅が最高だとか思っているわけではありません。しかし、重要なのはコントロールとアクシデントのバランスだと思うんですね。そしてその最適なバランスは、各人の置かれた社会的地位や年齢によって変わる。
旅というテーマから外れますが、コントロールとアクシデントのバランスという点で別の話を。ツイッターでも延々と書いているのでご存じのひとが多いかもしれませんが、ぼくはこの二月一日に「ゲンロンカフェ」という名のイベントスペースをオープンしました。席数四〇のちょっとした飲食店です。この開業そのものがぼくの人生的には大きなアクシデントですが──まさか自分がカフェを持つことになるとは数年前には想像もできなかったので──、ここでぼくが目指しているのは、やはりコントロールとアクシデントの適切なバランスの模索です。
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