(初回はこちら)
(バタン!)
(カランコロンカラーン)
勢いよく店に入ってくる若い女性客。
小鳥遊 「これはこれは、先日なかなかのしくじりをいただいたりんださん。いらっしゃいませ」
りんだと呼ばれたその女性客は、ツカツカとカウンター席まで来て、ふんまんやるかたないといった表情で席に着いた。
りんだ 「”なかなかの”は余計です! しくじりは、しくじりでしたけど!」
小鳥遊 「その表情は……フフフ、今回もなかなかのしくじりをお持ちですね」
りんだ 「そんなふうに言われるほど私はしくじってないです!……でも、ちょっとした仕事の悩みで気持ちが落ち着かなくって。聞いてもらってもいいですか?」
小鳥遊 「はい。喜んでりんださんのしくじり、じっくり聞かせていただきますね」
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りんだ 「このご時世もあって会社でリモートワークが始まったんです。ただでさえ仕事に慣れていないのに、また難しくなっちゃって……」
小鳥遊 「そういえば、どこもかしこもリモートワークですね。たしかに、会社でやっていたことをそのまま家でやるのは難しそうですね」
りんだ 「……って、カフェのマスターに共感してもらっても、ちっとも嬉しくないんですけど」
小鳥遊 「いやいや、フフフ。分かりますよ。私なりにね。どうぞ、続きをお聞かせください」
りんだ 「モヤモヤのきっかけは、上司からいわれた『きみは結局何がしたいんだ? 何を言っているのか分からない』っていう一言でした」
小鳥遊 「せっかく話したのにそう返されてしまうのはつらいですね」
りんだ 「私が話しはじめると、上司はなんだか困惑した表情になるんです。何を言ってるんだ? みたいな」
小鳥遊 「オンラインの画面だとなおさら気まずいですね」
りんだ 「そうなんです。私、おしゃべりは好きだし、話すことは得意だと思ってたんですけど。大学のときは、仲良い友達とはもう一言いえば全部伝わっちゃうみたいな感じでした。それなのに、いまの上司ったら『もっとちゃんと話せ』って……」
りんだはそう言い終わると、目の前の水を一気に飲み干し、グラスをドンと置いた。
りんだ 「実は私、外ではこんな風に気を張ってますけど、本当はコミュ障なんじゃないかって落ち込んじゃってるんです」
小鳥遊 「今日はとびきり新鮮な野菜が入りましてね」
りんだ 「だから、あの……人の話、聞いてます?」
小鳥遊 「極上のバターで炒めた野菜のソテー、りんださんのお口に合いますかね?」
りんだ (…………やっぱり変な店だ、ここ)
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小鳥遊は、ご機嫌で料理を始める。溶けたバターの香りと、野菜を炒める音が店内に広がる。
小鳥遊 「りんださん、最高傑作ができました! 見てください! この鮮やかな色合い! 見るからに美味しそうじゃないですか?」
りんだ 「(イライラを抑えながら)ええ、とっても」
小鳥遊 「まずはこちらをお召し上がりください。そのあと話の続きをしましょう」
りんだはできたての野菜のソテーを食べ始める。一口、また一口と口に運ぶにつれて、表情が次第に穏やかになっていく。
りんだ 「これ、美味しいですね。簡単に作っていましたけど、何かコツはあるんですか?」
小鳥遊 「とくにありませんよ。しいて言えば、バターと抜群に相性のいいほうれん草が特にいい仕事をしていますね」
りんだ 「ほうれん草ですか……たしかに美味しいです」
そうこうしているうちに、りんだは目の前に置かれた野菜のソテーをすっかりたいらげた。
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りんだ 「ごちそうさまでした! とても美味しかったです」
小鳥遊 「お褒めいただき、ありがとうございます。気分も落ち着いたところで、話の続きを。たしか、大学生のときはおしゃべりは得意なはずだったのに、会社に入ったら、上司の方に『ちょっと何言ってるかわからない』って言われたんでしたっけ?」
りんだ 「……言い回しはちょっと違いますが、まぁそんな感じです」
小鳥遊 「りんださん。会社でのコミュニケーションは、一言でいうとなんだと思います? ヒントは、先ほど召し上がった料理にあります」
しばし考えるりんだ。 えっ? と思いつくも、いやいやまさかそんな……と否定するのを数回繰り返したあと、いぶかしげに小鳥遊へ答える。
りんだ 「……もしかして、報告・連絡・相談の『ホウレンソウ』って言いたいんじゃないんでしょうね?」
小鳥遊 「そのまさかです! ご名答!」
りんだ (ここまで引っ張って、結局ダジャレって……)
小鳥遊 「学生までのおしゃべりと、社内で仕事を進める上でのコミュニケーションとは、分けて考えた方がいいみたいですよ。
りんださんは話すのはお上手で、コミュニケーション能力不足ではありません。ただ、仕事で物事を伝えるときに必要な、しゃべり出しのテンプレートを知らないだけだとお見受けしました。
特に、リモートワークだと文字だけだったり、画面越しだったりなので、なおさら大事なものです」
りんだ 「そうなんです。ちょっとした表情の違いとか、身振り手振りとか。リモートワークだとそれがなかなか伝えづらいんですよね。テンプレート、知りたいです」
小鳥遊 「これです」
小鳥遊は、メニューが書いてある黒板をやおら取り出し、メニューを消して何かを書きはじめた。
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