私が明日までに死んだら、どうする?

若年性アルツハイマー型認知症の父親、ステージⅣのがんの母親と暮らすあまのさくやさん。母親が緊急入院し、いよいよ最期の時を意識しはじめます。祖父の時ようなおだやかな最期で見送ろうとしますが、母の状態は急速に悪化していき…。

※これまでのお話は<こちら>から。

理想の最期ってなんだろう

― 2018年 父66歳 母62歳 私33歳 ―

いよいよ、最期のときが近い。母が緊急入院したことをきっかけに、私たちは一気に、その準備に舵を切らなければならなくなった。

残りの日々は、あと一体どれくらい残されているのだろう?
それは誰にもわからないことだった。

抗がん剤治療をやめた今、私たちが向き合うべき命題は、「母をどう看取るか」だった。
私たち家族にはあるひとつの理想があった。思い出すのは母の父、つまり私の祖父の最期だ。

祖父はがんで、末期まで在宅で訪問看護を受けた後、2週間ほどホスピスで過ごした。日当たりのいいホスピスの部屋で、祖父を見送った日々のことは今でもよく覚えている。祖父は徐々に話せなくなっていったが、その2週間のうちに子供や孫が入れ替わり立ち替わり訪れた。祖父を口実にして、まるで部室のように人が集まっては、ワイワイと勝手に喋って帰っていく。穏やかながらにぎやかで、幸せな時間だった。

祖父はゆっくりと、みんなに「ありがとう」を呟くようにして、逝った。絵に描いたように完璧な最期だ。それを目の当たりにしていた私たち家族は、母の最期もホスピスでゆっくり噛みしめながら迎えようと思っていた。そうしたかったし、きっとそうなると信じ込んでいたのだ。


母からのリクエスト

緊急入院から4日間ほどは、母は少し元気そうだった。話せるうちにと思ったのか、母は積極的にお葬式の話を具体化していった。はじめのBGMはこの曲がいいな。いや、あの選手がフィギュアスケートで使っていた曲がいいかも…でもドラマチックすぎるかなあ。出棺のときは絶対にこれを流してね!などと、母は自分のお葬式をプロデュースせんとばかりに嬉しそうに語る。ひとしきりリクエストを出すだけ出して、「まあ、センスのないお葬式にはしないように…」と締めくくった。「それが一番難しいんですけど!」と、私も困ったように笑った。
母が今したい話がそれならと、少しずつお葬式の準備にも目を向けることにした。音楽が好きだった母の、一番のこだわりは受け止めたいと思った。

母はいつからか、味や香りの強いものを好んで口にするようになった。
買い物のリクエストは、時にファンタグレープだったり、アイスの実だったり。毎日様子を見ているうちに、母が食べられそうなものの傾向が見えてきた。食欲が落ちてきた母が食べられるかもしれないものを探すのは、私のちょっとした特技になっていた。

ある夜、夕食のデザートにオレンジが出た。

食欲が低下し病院食はなかなか食べなくなっていた。でも、フルーツは比較的食べられていたので、きっとオレンジなら今の母も食べられると思った。

「オレンジ、しぼろうか?」

私は、少しだけ勇気を出して提案した。というのも私は昔からオレンジが苦手で、香りも味も天敵とみなしており、普段は触ることもしない。でもこの状況にあっては、背に腹は変えられない。

そんな私の提案に、母は驚いた顔で少し笑った。

「えっ、それは貴重だ。しぼってもらおうかな」

私は、何年振りかわからないくらい久しぶりに、オレンジをしぼった。
器具もないしやり方も知らないけれど、なんとかコップ1個分くらいは果汁が出た。
母はしぼったオレンジジュースを飲んで、果実も余すところなく食べ、結局概ね1個のオレンジを平らげた。

私はあと、何を母にしてあげられるのだろう。母がして欲しいと願うことは、なんでも叶えてあげたい。毎日そんなことばかり考えては、病院にいない時間もずっと落ち着かなかった。残された母との貴重な時間を無駄にしたくないという思いが私はつい、強く出過ぎる。


一日ごとに、母が変わって行く

入院する前から母の足はもうずいぶんとむくんでいたが、入院して以降いっそう進み、これ以上膨らむことができるのかと驚くほど、手足はパンパンになっていた。
病院に来ると、母の体のどこかをマッサージすることが日課になった。数十分、一時間以上やり続けても、むくみも痛みもきっとまたすぐに戻って来る。それでも母は、その間だけでも少し楽な表情をしてくれるので、私はマッサージを続ける。大人になってからこんな風に母に触れたことがなく、はじめにマッサージをした時は少し照れた。兄や弟はきっといっそう気恥ずかしかっただろうが、母は結構嬉しかったのだろう。弟が病院にきていた日に寝てしまっていた母は、起きてから「マッサージしてもらえばよかった〜。1回分損した気分だわ」と嘆いていた。

母はこの1ヶ月でずいぶん声を出しづらくなっていて、ささやくような話し方になっていた。入院当初は、音量以外は以前と変わらずテキパキとよく喋っていたが、1週間経つと母は徐々に力を失い、口数が減ってきた。

あるとき母が、「そうだ、テレビの録画を頼まれていたんだっけ…。」とつぶやいた。

それは入院中の今の現実にはありえない、うわごとだった。ああ、母の中で何かが大きく変わってきている。そんな気がして、私はひどく動揺した。強い薬を投与しているせいで、母の頭の中が混線していた。原因はわかっているけれど、これまでずっとシャキシャキと話してきた母が、ちぐはぐな言動を見せたのはこれが初めてだった。これは母が子に見せたい姿ではないだろうと思うと、無性に泣きたくなる。

さらに症状は容赦なく母を襲う。母のおなかは、日に日に膨らんできていた。いたたたた…と声を上げるほどの痛みの波と、痛み止めを投与してもなお耐えるしかないような苦しみが母を襲っていた。母を家に連れ戻したり、遠くの施設へ動かすことなど、もう到底できないような気がしていた。

母は一般病棟の大部屋から個室にうつった。個室の居心地は悪くないが、一般病棟は基本的に家族が泊まり込める仕様になっていない。何よりも、痛みや苦しみを緩和させることに特化した空間に一刻も早く母を移したかった。それでもまだ、ホスピスには空きがなかった。

祖父の最期の日々と比べると今の日々は、倍速で過ぎて行くようなスピード感だった。
入院してからまだ1週間。はじめの4日間と比べても、ここ数日の母の病状は急速に進行していた。目の前で苦しむ母の今の状況は、イメージしているあの最期と様子が違う。それでも私たちは、今いる一般病棟からホスピスに移って、数週間かけてゆっくりと見送るその日々を待っていた。

母が、このまま目を閉じたままだったらどうしよう。そういう思いで毎日、病院を後にする。


最後の夜

病院にいく前にはいつも、何か母が少しでも口にできるものをと思い、手土産を買う。この日はいちごを買っていたが、病院の近くの焼き菓子屋さんでチーズケーキも買っていった。

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時をかける父と、母と

あまのさくや

新卒で入社した企業はブラックだった。入社2年目の24歳の時、父と2人でのニューヨーク旅行。なんだか父の様子がおかしい…。父は若年性アルツハイマー型認知症だった。徐々に変わっていく父と、取り巻く家族の困惑。そんな中、今度は母に末期のがん...もっと読む

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コメント

FF22iBjw6wvgElQ 死んだ母との事を思い出す。 もっとこうしてあげたかったとか なんでこうできなかったとか ほんともう、いろいろ。 26日前 replyretweetfavorite

sakuhanjyo 【cakes】月曜から重めのタイトルですが、エッセイ更新されました。 別れの方法、タイミングって、いつだって難しい。 27日前 replyretweetfavorite