かわいそう!」同情したふりで他人を攻撃する人から身を守る方法

声の大きな人の悪意ある言葉に傷つき、流されない! 慶應社会人ビジネススクールの人気講師が言葉の暴力に立ち向かう方法を解説する『屁理屈に負けない! 悪意ある言葉から身を守る方法』(5/29発売)。16種類の屁理屈のテクニックと対処法が記された本書の中から、SNS上での誹謗中傷にも頻繁に使用される「同情論証」という卑怯なテクニックと対処法を紹介。

反論しにくい空気を作って攻撃する「同情論証」

 一方的な主張を押しつけ、マウンティングするために使用される「屁理屈」という言葉の暴力。その代表例として「反論しにくい空気を作る屁理屈」について解説していきましょう。

 この「反論しにくい空気を作る屁理屈」とは、主張の本質、つまり「何を言いたいのか?そして、なぜそう言えるのか?」という中身ではなく、姑息なテクニックによって、その主張を批判しにくくさせる、ある意味とても卑怯な手法です。

 その一番手が「同情論証」。コミュケーションの相手やSNSの閲覧者など周囲の第三者の情に訴えることで、「それは違う」と反論しづらい空気を作るテクニックです。 具体例で説明しましょう。

 あなたは街頭で「これからの国を背負って立つ子供たちのために」とか「差別をなくすために」と言われて寄付をお願いされたらどう反応しますか? 結果的に時間がなかったり、またちょっと胡散臭いなと感じて寄付を断るにしても、なんとなく申し訳のない気分になりませんか? これが「同情論証」です。

 誰もが感情として否定できない「子供たちのために」や「差別をなくすために」という大義名分を掲げることで、自分たちの主張に反論しにくい「空気」を作ります。そして反論されたら、「子供たちはどうでもいいのか!」とか「差別を黙認するのか!」と噛み付く。もちろん、こちらはそんなことはひと言も言っていないわけで、本書でも紹介した「わら人形論法」との合わせ技です。この一連の流れ、誰にでもできるとても簡単なお仕事です(笑)

 特にこの「子どもたちのために」は、アメリカのアニメ『ザ・シンプソンズ』に登場するヘレン・ラブジョイがこの言葉を連呼してトンデモ主張をすることから「ラブジョイの法則」とも呼ばれます。さらに、この手法は短文に向く(長文だと論理の甘さが目立つ)ため、Twitterでも大人気です。

 たとえば「子どもたちのことを考えれば、辺野古への移設はやめるべきだ」とか「子どもたちのことを考えれば、お母さんが家にいたほうがいいに決まってる」など。 どうでしょう、あなたも一度はこんな同情論証を目にしたことがあるはずです。少子化問題は確かに我が国において優先順位の高い問題ではありますが、だからといってなんでもかんでも「子どもたちのことを考えれば」で説明できるわけではありません。

 また、今回のコロナ禍においても、経済を回すことの重要性を説く人に対して「命よりお金を優先するのか」と批判する意見がありますが、これも同情論証のひとつ。『テラスハウス』の一件で、木村花さんを攻撃していた人々も、「番組のために消えて欲しい」というように、「番組のため」という大義名分を掲げることで自己正当化しつつ、悪意の言葉を投げつけていました。

 ここで念のため付け加えておきますが、私は決して「子供たちのため」や「差別をなくす」という理念や目的自体を批判しているわけではありません。むしろ、とても大切で尊い理念だと思っています。そして、「だからこそ」なのです。私がここで指摘したい同情論証の問題点とは、理念が尊いからこそ、「反論しにくい空気」に包まれてしまう点にあるのです。

ネガティブな感情による共感は危険

 ビジネスの現場の例で見ていきましょう。
 赤字続きの事業から撤退しようとするとき、こんなことを言い出す人がいます。

「今まで頑張ってきた現場の人間がかわいそうだ。なんとか続けられないか」

 確かに現場は頑張ってきたのでしょう。ですが、だからと言って赤字を放置していいわけではありません。しかし日本企業では、この「かわいそうだから」という同情論証がビジネスにおいても大手を振ってまかり通っているのが現実です。

 そして、この同情論証がまかり通ると議論があっという間に暗礁に乗り上げます。極端な話、真逆の主張に対しても、同情論証が使える場合があります。たとえば死刑判決についての議論では、「被告のつらい過去のことを考えれば、死刑は行き過ぎだ」という主張がある一方で「被害者遺族のつらい気持ちを考えれば、これは死刑で当然だ」という主張もあり、お互いに同情論証を使っています。 交通事故のニュースに際して、老人でなく子供が犠牲になったケースではことさら同情論証による感情的な主張が多くなるのも同じです。

「許さない」「ふざけるな」「かわいそうだ」「怒りしか感じない」

 こうしたネガティブな感情を全面に出した主張は、同じような思いの人の共感を得やすく、逆に反論する人間を否定しやすくなります。 しかし、それだけにとても「危険」です。 確かに感情は大切にすべきですが、怒りや悲しみ、恐怖心に代表されるネガティブな感情は、私たちの目を曇らせ、問題の本質を見誤らせてしまうことが多い。人間はネガティブな感情に支配されると、視野が狭まり、本来考慮すべきポイントに目が行かなくなってしまうものです。

 放射線に対する恐怖心が起点となった、福島の人々と生産品に対する風評被害。 コロナ患者を受け入れた病院など医療関係者ならびに家族に対する差別。 反面教師とすべき同情論証は世間に溢れています。もちろん、その中には善意とは真逆の悪意を持って意図的に同情論証を利用している人間もいます。そのことをまず、私たちは認識すべきです。そして仕事においても、絶対に感情「のみ」にとらわれるべきではありません。

 では、どうやって同情論証を見抜き、身を守るのか?

 まず見抜くコツは、「命を守る」「子供たちのため」「差別の撤廃」といった崇高な理念と、そこに続くロジックや主張のギャップに注目することです。もし、ロジックや主張が曖昧、唐突、現実離れしていた場合、単に同情によって主張を押し通したいだけの可能性が高まります。

 そして、そうした同情論証を押し付けられた場合の対処法。これは意外とシンプルで、「その気持ちは私も同じです」と、まず最初に相手の「かわいそう」「許せない」といった感情を理解、共感してしまうことです。

 同情論証は、たしかに反論しづらい空気を作りますが、実は感情に訴えかけるぶん、共感された時点でその役割を終えてしまいます。

 ですから、まず感情的には理解した上で、「気持ちは十分理解はするけれど、やはりコストも無視できないし、ほかにも……」と感情以外の論点で反論することで、屁理屈をかわすことができます。
 このように、同情論証は万能にみえて意外ともろい屁理屈でもあるのです。

「悪意ある言葉に負けない方法」を慶應社会人ビジネススクールの人気講師が解説!

この連載について

屁理屈に負けない!言葉の暴力に立ち向かう

桑畑 幸博

SNSでの誹謗中傷、職場のパワハラ、セクハラ、家庭のモラハラ、ワイドショーの扇動的なコメント……現代社会に蔓延する声の大きな人の悪意ある言葉。しかし、そのほとんどは「聞く価値のない屁理屈」に過ぎない! 慶應社会人ビジネススクールの人気...もっと読む

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コメント

newssharejp |屁理屈に負けない!言葉の暴力に立ち向かう *桑畑幸博さん|cakes https://t.co/zxHoZZR11M 4ヶ月前 replyretweetfavorite

filthy_deity なるほど。たしかによくあるなと納得。 4ヶ月前 replyretweetfavorite

Ray_VSP_RBR #スマートニュース 4ヶ月前 replyretweetfavorite