わかる日本書紀

天皇の妻になれなかった娘の一途な思い【第16代⑥】

ややこしい日本書紀をわかりやすく紹介した書籍『わかる日本書紀』シリーズ第2巻から、日本の正史を学ぶ連載。今回は第16代、仁徳天皇の御代のお話。

防災と灌漑(かんがい)の大事業を実行②

♦前回のお話はこちら→「生贄に選ばれたけど、知恵をふりしぼって生還!【第16代⑤】」

十四年十一月、猪甘津(いかいのつ)※1に橋を渡し、小橋(おばし)※2と名付けました。
この年に、大道を都の中に造り、南門からまっすぐ、丹比邑(たじひのむら)※3まで通しました。
また、大溝を感玖(こむく)※4に掘り、石川の水を引いて、上鈴鹿(かみつすずか)、下鈴鹿(しもつすずか)、上豊浦(かみつとゆら)、下豊浦(しもつとゆら)※5の四か所の野原を潤し、四万頃(しろ)※6あまりの田を得ました。それでそこの民は豊穣となり、凶作の年の心配はなくなりました。

十六年七月一日、天皇は宮人のクガヒメ(桑田玖賀媛)をそば近くに仕える舎人※7たちに見せて、
「私は、この婦人を愛したいと思うが、皇后の嫉妬が苦で、召すことができないで長年経ってしまった。その女盛りの年を、無駄に過ごさせることはできない」
と言って、歌を詠みました。

みなそこふ※8 臣(おみ)の少女(をとめ)を
誰養(たれやしな)はむ

(※訳
臣の乙女を
誰か妻にして養う者はいないか)

すると、播磨国造※9(はりまのくにのみやつこ)の祖・ハヤマチ(速待)が、一人進み出て歌を詠みました。

みかしほ※10 播磨速待(はりまはやまち)
岩下(いはくだ)す 畏(かしこ)くとも 吾養(あれやしな)はむ

(※訳
この播磨速待が
恐れ多くも、妻として養いましょう)

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

日本のはじまりを知る。

この連載について

初回を読む
わかる日本書紀

村田右富実 /つだゆみ /村上ナッツ

『日本書紀』は神代から第41代持統天皇の時代までを扱った日本最古の歴史書です。しかし本文は漢文、全30巻と長く読解は難しいため、正史ながら読んだことのある人はほぼいません。そこで、劇作家が書くわかりやすい文章と、親しみやすいキャラクタ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません