海外に住んでいると、「なんで来たの?」「いつまでいるの?」と言う話になります。
私も、なぜマレーシアに来たのですか?と良く聞かれます。
私とマレーシアの出会い、1990年代中頃に遡ります。
外国とはなんの縁もない学生時代を送り、大学を出て一般企業に就職しました。
当時パソコン雑誌の編集者だった私は、ネットの使い方を紹介する記事を作っていました。
その頃ちょうどインターネットが世の中に出たばかり。
ネットとかパソコンって「怪しい」ものでした。
私が興味を持ったのが「外国人とリアルタイムでチャットできること」です。
そこで、自分でもチャットソフトの草分け「ICQ」と言う怪しいイスラエルのソフトに登録。
拙い英語でプロフィールを書いて、海外のネット友達を探すことにしたんです。
そこに「Hello!」と声をかけてきたのが、マレーシア人女性のGでした。
最初は、毎晩、他愛もない話をチャットしてたのです。
ところが半年ほどして、東京に来る彼女と会うことになりました。
ネットですら怪しいのに、さらに知らない人と会うなんて、大丈夫かな?というのがフツーの反応でしょうが、私はどうしても好奇心が抑えられなかった。
彼らは私と同い年のマレーシア華人の夫婦。さらに幼い子供三人をマレーシアに置いて旅行していました。
この時点で、私の頭の中は混乱しました。
「子供を置いて旅行していいの?」
「誰が子供を見ているの?」
「ただ楽しみのため?」
「お母さんはそんなことして責められないの?」
「親戚や近所の人は何も言わないの?」
「子供は親が遊び歩いててもグレないの?」
日本で育った当時の私の規範では、「主婦は子供ができたら24時間365日一緒にいなくてはいけないもの。自分の楽しみを優先させてはいけないもの」と言う謎の刷り込みがありました。しかも楽しみのための海外旅行なんてあり得ない。子育てなんてしたら自由が束縛される。それはまっぴらごめんだ、と言うのが本音でした。当時は子供もおらず、持つつもりもなかったのです。
だから、彼らと話すと混乱するばかりです。
翌年、逆に私がGの家に行って、彼らの三人の子供たちと一緒に二週間旅行することになりました。
この目で1990年代中頃のマレーシアを見て、社会の違いに驚きました。
「子供を預けて旅行したりジムに行ったりする人がいる」「子供たちが邪魔者扱いされない」「子供がどこに行っても可愛がられる」「家事をしない主婦がいる!」「みんななんだか楽しそうだ」などなど、あまりに違う。
この「居心地の良さ」はなんなんだろう。言語化するのがとても難しい。
こんなところで育つ子供たちはどうなるんだろう?ということにも興味がありました。
彼らを見ていて、子供が愛され大事にされるマレーシア社会を見て、「子供持つのも悪くないな」と初めて思ったのです。
その後も、毎年のように、この一家との付き合いは続きました。一緒に韓国に行ったり、京都に行ったりしました。子供たちは大きくなりました。
すると今度はティーンエイジャーになった彼らの穏やかさと、親との良好な関係に驚きました。親と手を繋いだり、一緒に旅行したり映画見たりしています。車社会とはいえ、そこまで親と仲良いのはなんでだろう?
ティーンエイジャーって普通は親と口を聞かないのでは? 「クソババア」とか言うんでは? その想像からかけ離れた姿がありました。
「一体なんで、こうなるんだろう?」と不思議でした。
そんなわけで、実際にマレーシアに住んでみることになったのです。
今思うと、それは子供を巻き込み、家族の人生を使った壮大な実験でした。
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