テクノロジーに追いつけない文学!?
——お二人が知り合ったのはいつ頃だったのでしょうか?
海猫沢めろん(以下、めろん) いつだったかなぁ。4年前くらいですか?
八代嘉美(以下、八代) そうですね。確かそれくらいだったような。
めろん もともと近くに住んでいて、一緒に食事とかもしていましたね。ところが、この本のもととなる対話をスタートしたところで、八代さんが京都大学 iPS細胞研究所へ勤務されることになりまして、びっくりするという……。まぁ、そのおかげで対談の収録は東京でやったり京都に出かけたりと、いろんな場所でできて楽しかったんですけど。
死にたくないんですけど iPS細胞は死を克服できるのか (ソフトバンク新書)
——なるほど。そもそもこの『死にたくないんですけど』(ソフトバンク新書)という本を企画したきっかけはなんだったのですか?
めろん 僕はそこまで生物学に興味が以前はなかったんです。でも、生物学を自宅のガレージなんかで研究している人々を描いた『バイオパンク』(NHK出版)って本を読んだとき、今までとは違う印象で生物学をとらえることができたんですね。IT産業の黎明期みたいでカッコよかった。もっと知りたいなぁと考えていたら、ご近所付き合いしている八代さんが生物学のエキスパートだということを思い出して、声をかけたわけです。
八代 私は『死にたくないんですけど』の前に2冊、再生医療とiPS細胞に関する著書を書いています。しかし、それだけでは生物学に興味がある人にしか読まれないかもしれないという思いがありました。だから、めろんさんから話をもらった際には、小説にファンがたくさんいる人と一緒に本を出せば、それまでとは違った読者層に届けることができるのではないかと考えたんです。
めろん 僕としては対談を通して、小説に使えそうな科学知識を得られたのも収穫でした(笑)。
——本書の特徴として、基本的なiPS細胞の知識や生命科学の最前線を解説しつつ、SFなどのフィクションについても言及しているということがあります。
めろん そうですね。僕と八代さんはSF好きで、よく二人で熱く語り合っているので。
八代 実験科学は、小さな「証明」をコツコツ積み上げることを繰り返すのが基本です。「生命とはなにか」という根源的な問いを持つ生命科学はとりわけ慎重さを求められますが、そればかりに拘泥してしまうと発想の飛躍が生まれなくなる。
めろん でも、それって小説の世界でも言えることですよね。たとえば文芸誌に載ってる作品の多くはいまだに人間の内面や実存の問題を扱っている。それでもいいんだけど、もう少しアップデートできる気がする。iPS細胞も含めてスマホやらネットやら初音ミクやら、あらゆる面でSFが現実になっちゃってる。その、テクノロジーで奇妙に変化しちゃった人間、みたいなのも書けると思うんですよね。
八代 なるほど、たしかにそうですね。
めろん 昔はけっこう純文学の人もSFぽい作品書いてた。安部公房とか、三島由紀夫の『美しい星』(新潮文庫)とか。80年代にはサイバーパンクのあおりで、いとうせいこうさんとか島田雅彦さんとか。今はまた遠くなっちゃった気がしています。もちろん、好みの問題だし、美しい文章や複雑な内面の葛藤を描くことも重要でしょう。でも、僕はやっぱり新しいテクノロジーや人間観をどんどん受け入れていきたいんです。その視点が抜けてしまうと、結局は「Windows95でビックデータが処理できなくてつらい!」と苦悩しているだけみたいな感じになってしまう。
八代 で、結局「MS-DOSに戻ってつつましやかな生活をすることが善なんだ!」みたいな予定調和になっちゃう(笑)。
すでに、フィクションにiPS細胞が登場している!
——現実に文学がついていけていないということでしょうか?
めろん 現実のどこを切り取るかという問題だと思う。みんな今書くべきテーマをちゃんと考えてるんだけど、なぜかテクノロジーを描く人が少ない。気持ちはわかるんですよ。そもそも、スマートフォンだって、SNSだって5年後にどうなっているかはわかりませんしね。ただ、SFの場合はそこが問題にならない。むしろテクノロジーが加速して「今の脳でデータが処理できなくて悩んでいるのなら、新しい脳に乗り換えようぜ」みたいな世界が描けるから強い。
八代 そうそう。新しいハードに乗り換えた結果、ソフトウェアとの齟齬が生まれて、その不具合が新たな葛藤になる、なんていうストーリーを描いてくれるのがSFかなって思う。
めろん 「世の中がこうなったら、どうなるだろう」というシミュレーションにもなりますし。ぼくが思うに、SFってメタ純文学みたいなもので、存在しない謎人類の謎の葛藤とかを描いても受け入れられるジャンルなんです。最近だと第2回創元SF短編賞受賞作『皆勤の徒』(創元日本SF叢書)とかね。神林長平さんや円城塔さんも「人間以外が読む文学が書きたい」とか言ってるわけだし。ハードレベルの変化を考慮している。
八代 ジェイムズ・ティプトリー・Jr.の「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」(『老いたる霊長類の星への賛歌』[ハヤカワ文庫]収録)は、宇宙飛行をしていたクルーが太陽のフレア爆発の影響で未来にタイムスリップしてしまう物語です。そこは、生物兵器が原因で人類が女性だけになってしまい、クローンによって遺伝子の多様性を維持し続けている世界なんですね。これに今のiPS技術をくっつければ女性の細胞から精子をつくって、女性同士の生殖が可能、という世界だって作れますよね。
めろん それは物議を醸しそうですね。
八代 クローンの話題にしてもそうだけど、そうした究極的状況から、「常識」の脆さというか、ナンセンスさみたいなのが立ち上がってくる。もちろん、現在ではiPS細胞からつくった精子、卵子の受精は禁止されていますが、フィクションの世界ならばどのような世界になるか想像を膨らますことができる。
めろん 『死にたくないんですけど』では、八代さんからiPS細胞を使って人の膵臓を豚の体の中でつくる技術を紹介していただきました。この「キメラ動物」の問題は、本書でも触れましたが、まさに小林泰三の『人獣細工』(角川ホラー文庫)で描かれています。
八代 キメラの描写は荒川弘の漫画『鋼の錬金術師』にも出てきますね。
——他にもiPS細胞をあつかった作品は出てきているのでしょうか?
めろん 横溝正史ミステリ大賞を受賞した河合莞爾の『デッドマン』(角川書店)は、「自分は一回死んで蘇らせられた。俺を殺したやつを探してくれ」という手紙が警察に送られてくるというストーリーですが、その復活の方法がiPS細胞を使った技術、ということになってましたね。あ、ここネタバレじゃないんで、気になった人は続きをぜひ。
八代 iPS細胞を扱った作品だと、アニメ『神霊狩/GHOST HOUND』や羽生生純の漫画『ピペドン』(小学館)もそうですね。あと、テレビドラマの『相棒』では、クローン規制法のくだりが出てきたり。
めろん メジャーな作品にも出てきていますね! SFってわけでもないのに……
八代 やはりフィクションの世界は反応が早いですね。
ディストピアとして描かれる生命科学の未来
——『死にたくないんですけど』では、『フランケンシュタイン』(光文社古典新訳文庫ほか)がSFの起源として紹介されています。
八代 はい。『フランケンシュタイン』は1800年代の小説で、細胞説やダーウィンの進化論などが発表された時代に描かれました。
めろん 死体をつなぎ合わせて電気を流すことで蘇らせるという発想は、カエルを解剖する際に固定用と切断用のメスを入れると足が動くという発見から着想したんですよね。
八代 そうだと考えています。作者のメアリー・シェリーは好奇心があった一方、生命の根源に迫ることに畏れがあったのではないでしょうか。畏れがあったからこそ、自身が作った化け物に家族が殺され、最終的には自分も死ぬというストーリーになった。
——生命科学がフィクションで扱われる場合は、どうしてもディストピア的な描写が多くなってしまいがちです。
八代 ディストピアとして描かれるのは生命の根源への畏れに加えて、長い間、刻まれてきた社会規範が崩れることへの恐怖があるからでしょう。今のままの世界や自分たちが維持できず、変容して、崩れ去ってしまうことへの拒否感が根強くあるんだと思う。
めろん でも、ディストピアって実はユートピアと表裏一体なんですよね。サイバー空間の誕生についてもユートピアとして語られる一方で、アメリカの若者のあいだではそれによって監視社会が進んでディストピアになったという言説も出てきている。僕が子どもの頃に観て、トラウマになった映画に『ソイレント・グリーン』って作品があります。人口が増加して食物が不足した未来が舞台なんですね。それで、人々はタイトルにもなっている「ソイレント・グリーン」なるものを食べているのですが、実はこれは人間から作られたものなんですよ。印象的なのは、施設で食品にされる前に、美しかった過去の映像を見させられるという……。
——衝撃的ですね。まさに、ディストピアとユートピア……。
めろん もちろん、極端な未来を描かなければ物語として面白くないから、ディストピアを描いているという側面もあるとは思うのですが。
八代 フィクションではないですが、啓蒙書では生命科学によってあらわれるユートピア的な世界を描いたものもあるにはあるんですよ。100年近く前に書かれたJ・B・S・ホールデンの『ダイダロス、あるいは科学と未来』とか。でも、フィクションの世界では、「みんな幸せに暮らしましたとさ」というよりも、ディストピアであっても生きていかねばならない、みたいな葛藤を描くほうが面白いですよね。
——『死にたくないんですけど』では、iPS細胞の発見によって、どこまで人間が踏み込んでいいのか、生命倫理について議論する必要があると指摘されています。SFもそれに一役買うことはないのでしょうか?
八代 う~ん。私はどちらかというとSFに啓蒙を求めるより、何が描かれていて、どう語られているかを見ていくことのほうが重要だと思っていますよ。フィクションって、ある意味、無意識の集合体みたいなものですから、それを読めばどういうテクノロジーを人々が気持ち悪いと思っているかがわかるんじゃないかと。最先端の技術に対して、一般社会からどういう球が投げ返されてきたのかを科学者も興味を持つ必要がある。「あれはエンターテイメントだから」「サブカルチャーだから」と切り捨てずに、生命倫理についてのコンセンサスをつくる際の参考にするべきだと思います。
——『死にたくないんですけど』も、小説家のめろんさんから投げられた球を、八代さんが科学に携わってきた立場から打ち返す掛け合いが、とても面白いですよね。
八代 ちゃんと打ち返せたかどうか……(笑)。フィクションではないですが、『死にたくないんですけど』も読者からどういう風に読まれるのかは楽しみですね。
めろん はい。僕も対談前は生物ってものすごいおおざっぱな理解でしたけど、細胞とか遺伝子とか、パーツごとに理解できるようになって、かなり世界の見え方が変わりました(笑)。あとは単純に勉強になった。フィクションに生物学を入れようと思ってる人なら「これを読み返せば、作品をひとつ書けるじゃん!」みたいな。でも、八代さんが冒頭でおっしゃっていたように、生物学に興味がない人にこそ読んでもらいたいですね。本当にどんな球が投げ返されてくるのか。ちょっと予想がつかないぶん、ドキドキしています。とりあえず、死にたくない人は必読です!
(左:八代嘉美、右:海猫沢めろん)