いつまでも藩閥に囚われていては何もできません|八面六臂(一)2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

「では貴殿は、あれが武略だと言うのか」

「はい。木戸さんが長州の脱退騒動を鎮めるまで、時を稼がねばなりませんからね」

「此奴!」と言いつつ大木が大隈の胸ぐらを摑む。その拍子に膳の上の徳利と盃が倒れた。

「まあ、落ち着いて下さい」

 大隈が酒のこぼれた徳利を摑み、「もったいないな」と言って顔をしかめる。だが大木はいきり立っている。

「これが落ち着いていられるか。貴殿は佐賀武士の面汚しだ!」

「もう佐賀も何もないでしょう。いつまでも藩閥に囚われていては何もできません」

「屁理屈を言うな。貴殿や江藤さんがわれらに賛同してくれれば、佐賀閥はもっと強くなる」

「だから、そういう考え方がいかんのです。だいいち江藤さんは群れるのを嫌います」

 江藤は双方の中立というより、両派閥の暗闘を全く無視し、独自の国家構想を描こうとしていた。

「われらは一人では弱い。だから副島さんを立てねばならぬのだ」

 副島は薩摩の大久保、長州の木戸、土佐の後藤と板垣といった派閥の領袖の地位にないので、その政治的基盤は脆弱で、大久保の番頭のような立場に甘んじていた。大木は東京府知事として民政に従事していたため、中央政府の政局と距離を取っていたが、民部大輔就任に伴い、政治的立場をはっきりさせたらしい。

「どうして考えが違うのに、同じふりをせねばならんのです」

「そうではない。その考えを皆で吟味し、そなたの言うことでも正しいと思えるものは強く主張していくのだ」

「佐賀という括りで群れる必要はないでしょう」

「大隈よ、もう明治も三年だ。薩長藩閥は志士活動をしてもいない若手を次々と登用し、出世の階を上らせ始めている。それに比べて、佐賀はどうだ」

 確かに次の世代の人材登用という面で、佐賀は薩長どころか土佐にも後れを取っている。幕末の動乱に乗り遅れた佐賀は、それでも強大な軍事力を有していたことで尊重され、本来なら薩長土三藩の功績である「維新の大業」にぎりぎりで加えてもらい、「維新の功臣」は薩長土肥と呼ばれるようになった。だが明治になり、佐賀人は結束できず、薩長土三藩とは、さらに差を付けられている。

「それは一理あります。私も故郷には愛着があります。だからといって故郷の子弟を優遇するのはどうかと—」

「では、薩長はどうだ。有能な者ばかりを登用しているわけではあるまい」

 大隈がため息をつきつつ言う。

「薩長の専横はその通りですが、次の世代は藩という頸木から逃れ、均一の教育の下に若者の育成を図るべきです」

 案に相違して、大木は「わが意を得たり」とばかりに返してきた。

「そうだ。だからわしは教育改革を行おうと思っている」

「初めて気が合いましたね」

 二人が盃を掲げて酒を飲み干す。

「その話は、おいおいする。それで本題だ」

「大木さんは、私に喧嘩を売りに来たんじゃないんですか」

「わしとてそこまで暇ではない。内諾を取り付けに来た」

「内諾と言われても、木戸さんのいない場では何も約束できませんよ」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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