恥ずかしいことなど何一つありません」|百折不撓(十四) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

「鉄道は文明開化の象徴です。天下万民は鉄道を見て、この国が変わりつつあることを実感します。戦国の昔、織田信長は白亜の石垣城を造り、領民たちに時代が変わったことを知らせました。われらは城の代わりに鉄道を全国くまなく通すことにより、この国が一つになったことを万民に分からせるのです」

 三条が恐る恐る問う。

「それはよいことだが、どこまでやるつもりか」

「伊藤君と私が立てた第一期計画では、試験的に東京・横浜間を通した後、東京から東海道沿いに、名古屋、京都、大阪、神戸まで幹線を通します。京都からは支線として敦賀までの路線も作ります。これは日本海とつなぐために必須です」

 ちなみにこの年、尾張藩が名古屋藩に改称されたのを機に、それまで混用されていた那古野や名護屋という漢字が廃止され、名古屋に統一された。

 三条が困ったように言う。

「例の件はどうする」

「ポートマンのことですか」

「そうだ。あれは、いまだ片付いていないだろう」

 慶応三年(一八六七)十二月、米国公使館書記官兼通訳官のアントン・ポートマンは、幕末のどさくさにまぎれて幕府老中・小笠原長行から、蒸気機関鉄道の敷設と経営の免許を得た。政府が鉄道敷設を開始しようという噂が流れると、ポートマンは自らに権利があることを主張し、もし認められないなら多額の違約金を払えと言ってきた。しかし十月十五日に大政奉還があり、新政府から諸外国に通達をしていたため、ポートマンの契約は無効というのが、明治政府の見解だった。

「あの問題は解決しました」

 ポートマンに対しては、外務大輔の寺島宗則が交渉窓口となっていたが、むろん大隈も立場上、相談に与っていた。

「どう解決したのだ」

「奴の要求を突っぱねました。商人でもない公使館の書記官が有名無実化した幕府と契約するなど言語道断な上、公使のデ・ロングもぐるのようだったので、『本国は知っているのか』と、寺島君に問わせたところ引き下がりました」

「それならよいが、何事も穏便に頼むぞ」

 三条は弱気な一面があるので、諸外国は三条に直接嘆願したり、脅したりしてくる。

「大隈—」

 今度は副島が不満げな声を上げる。

「東北は今、餓死者が出るくらいの飢饉に見舞われている。そんな金があったら飢饉対策に充てるべきだ」

 明治二年、東日本では五月から気温が上がらず、六月以降は雨続きで各河川が氾濫し、沿村の田畑は水浸しになった。さらに八月下旬から霜が降り、「天保以来」と呼ばれる大凶作に見舞われた。

「それは違います。鉄道は将来の餓死者を防ぐための方策です」

「今、飢えている者はどうする」

「無念ですが、それとこれとは話が別です。強いて言えば、私の仕事は鉄道を敷設することで次の世代を救うことです」

「何という奴だ」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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