おはんは藩も武士もなくすっちゅうとな」 |百折不撓(十三) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

十三


「人斬り半次郎」こと中村が、その鋭い顔つきに似合わない素っ頓狂な声で言う。

「おう、おはんがここん主か!」

「そ、そうだ」

 仕方なく大隈が前に出る。

 中村は、さも感心したように邸宅と庭全体を見回すと言った。

「広か屋敷じゃな。おいのうちの十倍はあんの」

 中村は城下士(上士)の出だったが、極貧の中で育ち、少年時代には小作や畑の開墾で一家の家計を支えていた。

「こげん広か屋敷を政府からもらえたんじゃ。おはんは、よっぽど維新で功があったんじゃろな」

 大隈はどう答えていいか分からない。

「志士として走り回っておったのかの」

「いや、そうでもない」

 志士活動を始めて数日で捕らえられたとは答えにくい。

「じゃ、幕臣や会津藩兵をどいだけ斬ったんか」

「一人も斬っておらん」

「えっ、一人も斬っておらんち、今ゆうたか」

「ああ、そう言った」

「そうか。志士活動も戦もしとらんじゃったか」

 中村はとぼけた顔で背後の仲間を見回すと、「おう、そうか!」と言った。

「そいでは、軍ば指揮しちょったんか」

「いや、していない」

「じゃ、ないをしちょった」

「わしは—」

 大隈が胸を張って言う。

「長崎で外国人の相手をしていた」

 中村の細い目が大きく見開かれる。

「こいつはたまげた。おはんは男芸者をやって、政府からこげん広か屋敷をもろうたんか」

 背後の薩摩人たちが一斉に沸き立つ。

「そうではないが、そなたに何をやってきたか語っても、きっと分かってはもらえぬ」

「なんじゃち!」

 中村の顔つきが一瞬にして変わった。殺気が風のように吹いてくる。

 —どうやら学問について、何らかの劣等感を抱いている御仁のようだな。

 中村が感情を剥き出しにしたので、すぐに察しがついた。

「おはんは、わしがなんも知らんと思うちょるんか」

 中村が刀の鯉口に触れながら一歩近づく。

「いや、そうではない」

 大隈が弁明しようとしたが、中村がかぶせるように言った。

「おはんらは、ないもせんで政府に取り入り、甘か汁ば吸うちょると聞いた。とくに武士をなくそうなっどは言語道断じゃ!」

「そうれは誤解だ」

 ようやく中村たちの来訪の目的が分かり、大隈は応戦の態勢を整えた。

「このままでは、この国は外夷の食い物にされる。それを防ぐには迅速な近代化が必要だ。近代化のためには幕藩体制の頸木から脱さねばならない。つまり諸藩の富や兵を中央政府が一元的に管理するのだ。それが版籍奉還であり、版籍奉還こそが近代化への第一歩になる」

 こうした演説が得意な大隈だが、誰でも分かるように説明するのは苦手だった。

「つまるとこ、おはんは藩も武士もなくすっちゅうとな」

「ああ、なくす。そんなものはこの国にとって百害あって一利なしだ」

 その時、背後から袖を引く者がいる。ちらりと見ると久米が苦い顔をしている。その向こうでは、伊藤らが蒼白となって首を左右に振っている。

 —ああ、しまった。

 大隈はうっかり本音を言ってしまったことを悔いたが、後の祭りだった。

「やっぱい、おはんらは奸賊じゃ。斬る!」

 中村が抜刀しようとしたその時である。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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