井上も激しく言う。
「兵の統率権もそうだ。これまでのように兵の統率権を諸藩ごとに持たせていたら、軍隊など烏合の衆だ。今は英仏米蘭がけん制し合っているからいいようなものの、ロシアのような強引な国が蝦夷地の獲得に乗り出してくれば、ただ事ではなくなる。早急に国家の軍隊を持たねばなるまい」
前島が同意する。
「尤もだな。しかし事を急げば、抵抗勢力がうるさく言ってくるだろう」
抵抗勢力とは、あくまで漸進的に改革を押し進めようとする大久保利通を中心とした薩摩藩閥だが、木戸孝允を中心とした長州藩閥も、築地梁山泊ほどは急進的ではないため、ここに来て政府内の意見調整が難しくなってきていた。
前島が続ける。
「噂によると、薩摩藩の保守派が、われらを斬ると息巻いているらしい」
大隈が嘆息する。
「斬りたい奴には斬らせておけばよい」
五代が恐る恐る言う。
「奴らは斬ると言ったら本気で斬りますよ」
「本当か——」
大隈が生唾をのみ込む。それを横で見ていた久米が言葉を挟んだ。
「大隈さんは逃げ足が速いから大丈夫だ」
それを聞いて皆が笑う。
「いずれにしても警戒は怠れんな」
大隈の一言で、皆はすぐに議論に戻った。
井上が言う。
「版籍奉還の勢いで廃藩まで持っていかないと、またぞろ抵抗勢力が文句を言い始める。大久保さんたちが主張するように、藩主をそのまま世襲の知藩事として残すなど言語道断。さようなことをすれば、すべては形式に堕する」
伊藤や井上の所属する長州藩閥の領袖である木戸孝允は、世襲知藩事制に反対で、諸大名を早急に領国から切り離し、東京に住まわせることを主張していた。だが大久保はそれに断固反対で、参与の副島までもが大久保を支持したため、この直前の六月十二日に開かれた参与会議で、藩主をそのまま知藩事に任用して世襲することに決した。ちなみにこの頃、西郷は薩摩に帰っており、国政に参画していない。
伊藤が思い切ったように言う。
「実は今日、井上君と二人で辞表を提出してきた」
「何だと——」
大隈が絶句する。
「皆に話さず、勝手に下野して申し訳ない。だが抗議したところで、埒が明かない」
「本気か」
伊藤と井上が顔を見合わせ、にやりとした。
「実は木戸さんの策だ。われら二人がいなくなれば、政府の仕事が回らなくなる。それで木戸さんが『辞表を出せ』と言うので従った。今頃、木戸さんは岩倉さんに談判しているところだ」
大隈が問う。
「世襲知藩事制を撤回させるのか」
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