馬鹿を言うな。武士に二言はない」|百折不撓(十) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。


 庭の見える居間に綾子を上げた大隈は、煙管に煙草を詰めながら、その話に耳を傾けた。

 綾子によると、鳥羽・伏見の戦いの結果が江戸に知れわたっても、旗本たちは意外に平静を保っていたという。中には「家康公の昔から、上方で敗れることは想定されていた」と冷静に語る老人もおり、当面の間、京都と大坂の間でにらみ合いが続くというのが、大方の予想だった。

 ところが将軍慶喜が江戸に逃げ帰ることで、情勢は一変する。旗本たちは先祖伝来の古甲冑を身に着け、妻子眷属と水盃を交わした上で江戸城へと馳せ参じた。

 綾子の父の三枝七四郎は、上役の戸川捨二郎に従って江戸城に入った。ところが慶喜が恭順を貫くことになり、旗本たちの団結は一気に崩れた。大半は慶喜の意向に従い抗戦をあきらめたが、一部の徹底抗戦派は上野山の彰義隊に加わり、また会津に向けて落ちるなどして、最後まで戦い抜こうとした。

 三枝は「将軍の意向に従う」という戸川の方針に賛意を示し、自邸に籠もっていた。すると政府の使者と称する者が現れ、すぐに屋敷地から出ていけという。三枝が「行くあてがない」と言っても聞く耳を持たず、期限を設けて退去を促してきた。戸川も大同小異だったのだろう。その頃は皆、自分のことで精いっぱいで、戸川家がどうなったかは、父も把握していなかったらしい。

 三枝一家は、徳川家十六代当主の家達が駿河七十万石へと転封されたのを機に駿河に入植することにしたが、頭数を少なくしたいので、急遽、綾子の縁談を調えることになった。だが食べるあてのない旗本仲間の子弟に嫁がせるわけにもいかず、父は幕府の大工棟梁をやっていた柏木稲葉の養子の貨一郎に嫁がせることにした。

「そうしたことが三月ほどで、慌ただしく決まったんです」

「それはたいへんだったな。だけど、あんたの旦那は、あの口調で武士かい」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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