あの子には東京で教育を受けさせたいのです」|百折不撓(八) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 大隈に言葉はなかった。

 —確かに、わしは美登を大切に扱ってこなかった。

 だがそれは、多くの男たちと変わらないと思い込んでいた。佐賀の女たちは、そんな男たちに文句の一つも言わず耐えてきた。そんな姿を見てきた大隈は、それが当たり前のことだと思い込んでいた。

 —だが今それを言っても、言い訳にもならない。なおさら心を閉ざすだけだ。

 そう思い直した大隈は、座布団から下りて頭を下げた。

「美登、すまなかった。この通りだ。これからはそなたを大切にする」

「謝っていただき、ありがとうございます。しかし共に東京に移り住むことはできません」

「ど、どうしてだ」

「今、あなた様は私を大切に思ってくれています。でも東京に行き、また仕事に没頭する日々が始まれば、私のことなど—」

 美登が口元を押さえる。

「何を言っておる。そんなことはない。わしは終生そなたを大切にする」

「いいえ、それは今だけのお気持ちです。知己もいない東京で孤独な日々を送るなど、私には耐えられません」

 美登の嗚咽が狭い部屋に漂う。

 —美登の申す通りかもしれん。

 今は申し訳ない気持ちから、美登の方を向いていられるが、東京に行けば、多忙にかまけて、美登のことを顧みないことになるのは明らかだった。

「美登、そなたの申す通りかもしれない」

 美登が顔を上げる。

「ようやく、お分かりいただけましたか」

「ああ、そなたを東京に連れていけば、同じことの繰り返しだ。それならここで—」

 大隈が込み上げてくるものを抑え、はっきりと言った。

「お互いのために別れよう」

「あ、ありがとうございます」

 美登も座布団を下り、両手をついた。

「熊子もきっと分かってくれる」

 この時、熊子は美登と一緒に佐賀にとどまるものと、大隈は思っていた。

「そのことでお願いがあります」

「お願いだと。それは何だ」

「熊子がそれなりの年になったら、東京で養育していただけませんか」

「えっ、どういうことだ」

「これからは、東京がすべての中心になります。あの子には東京で教育を受けさせたいのです」

 大隈は美登の覚悟を知った。

「それで、そなたはよいのか」

「はい。私も熊子と別れるのは辛いです。でも、あの子の将来を思えば、あなた様と一緒の方がよいのではないかと思うのです」

「そうか、そこまでの覚悟ができているのだな」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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