大隈に言葉はなかった。
——確かに、わしは美登を大切に扱ってこなかった。
だがそれは、多くの男たちと変わらないと思い込んでいた。佐賀の女たちは、そんな男たちに文句の一つも言わず耐えてきた。そんな姿を見てきた大隈は、それが当たり前のことだと思い込んでいた。
——だが今それを言っても、言い訳にもならない。なおさら心を閉ざすだけだ。
そう思い直した大隈は、座布団から下りて頭を下げた。
「美登、すまなかった。この通りだ。これからはそなたを大切にする」
「謝っていただき、ありがとうございます。しかし共に東京に移り住むことはできません」
「ど、どうしてだ」
「今、あなた様は私を大切に思ってくれています。でも東京に行き、また仕事に没頭する日々が始まれば、私のことなど——」
美登が口元を押さえる。
「何を言っておる。そんなことはない。わしは終生そなたを大切にする」
「いいえ、それは今だけのお気持ちです。知己もいない東京で孤独な日々を送るなど、私には耐えられません」
美登の嗚咽が狭い部屋に漂う。
——美登の申す通りかもしれん。
今は申し訳ない気持ちから、美登の方を向いていられるが、東京に行けば、多忙にかまけて、美登のことを顧みないことになるのは明らかだった。
「美登、そなたの申す通りかもしれない」
美登が顔を上げる。
「ようやく、お分かりいただけましたか」
「ああ、そなたを東京に連れていけば、同じことの繰り返しだ。それならここで——」
大隈が込み上げてくるものを抑え、はっきりと言った。
「お互いのために別れよう」
「あ、ありがとうございます」
美登も座布団を下り、両手をついた。
「熊子もきっと分かってくれる」
この時、熊子は美登と一緒に佐賀にとどまるものと、大隈は思っていた。
「そのことでお願いがあります」
「お願いだと。それは何だ」
「熊子がそれなりの年になったら、東京で養育していただけませんか」
「えっ、どういうことだ」
「これからは、東京がすべての中心になります。あの子には東京で教育を受けさせたいのです」
大隈は美登の覚悟を知った。
「それで、そなたはよいのか」
「はい。私も熊子と別れるのは辛いです。でも、あの子の将来を思えば、あなた様と一緒の方がよいのではないかと思うのです」
「そうか、そこまでの覚悟ができているのだな」
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