五月の夜にしては冷えすぎた空気が、パーカーの隙間から入り込んでくる。火照った体がキュッと引き締まる。酔いと興奮を醒ますには、最適な気候だ。近くを走る甲州街道からは、救急車のサイレンが聞こえていた。
「いま、店でた!」
駅の方角に足を進めながら、両手の親指を、スマホに滑らせる。
冷たい風に逆らうようにフウと息を吐くと、ジョッキ三杯分程度のアルコールが、体内で急速に分解されていく。全身が緊張してきているのがわかった。
「大学の横に、小さい公園があるんだけど、わかる? 駐輪場の先」
すぐに返ってきた彼女からの連絡を見て、また心拍数が上がる。ここからだと五分もかからないところだ。通っていたキャンパスのすぐ横だけれど、小さな公園だし、初めてこの駅に来た人では、辿り着けない気もする。やはり彼女は、同じ大学の学生なのかもしれない。
「なつかしい。俺、その公園で、よく元カノとキスしてたよ」
あ、これ、ミスってる。脳が判断したときには、送信ボタンを押していた。肝心なところでセンスがないよねと、該当する元カノから注意されたことを思い出して、頬が引きつる。これから二人で会う女性への連絡としては、最低な部類に入るメッセージ。早くも後悔し始めていた。スマホは、またすぐに震えた。
「私、一度ここで、セックスしたことあるなぁ笑」
それで、なんだかもう、彼女には敵わないとおもったのだった。
そもそも何を勝ち負けとするかもわからないけれど、この、どうしようもなく低俗で下品な一往復だけで、僕と彼女の関係は、常に彼女が優位に立つのだと予感してしまった。
あらゆるものには、優劣が存在しているとおもう。平等や公平なんてものは存在しなくて、どちらかが優勢で、どちらかが劣勢で、そのバランスが安定したところで落ち着いているだけだ。たとえば多くの生き物が食物連鎖の関係に抗えないように、彼女と僕もまた、いつだって彼女が優位である。その事実を、僕はこの瞬間から、うっすらと理解してしまったのだった。
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