明け方の若者たち

彼女の財布から溢れたレシートは下着みたいだった

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」その16文字から始まった、沼のような5年間ーー。
6月11日に発売するライター・カツセマサヒコさんのデビュー小説『明け方の若者たち』。安達祐実さんや村山由佳さん、尾崎世界観さんなども推薦する注目の作品より、1章・2章を8日間連続で特別公開します。(全8回/2回目)

会場が広くなったように感じたのは、石田がトイレに立ったからだ。さっきまで彼のテンションに引っ張られて盛り上がっていた酔っ払いたちは、「いや~石田すげえわあ」と誰に向けるでもなく言った後、仕切り直すように二、三人ごとに談笑を再開していた。

僕もどこかの輪に加わろうと立ち上がったところで、彼女も同時に、腰を上げたことに気が付いた。

空気が変わりつつあった半個室に擬態するように、彼女は壁伝いにひっそりと、部屋の入り口へ向かう。石田がいなくなったとはいえ、話題の尽きない「勝ち組」たちは、彼女の異変に気付かない。

僕は腕に抱えられたトレンチコートとリュックを見て、今日一番興味を持てた人が、早々に帰ってしまうことを悟った。

せめて一言でも、会話くらいできたら。あわよくば、一緒に抜け出しちゃったりとか。軽い妄想を繰り広げている間にも、彼女はこちらに向かってくる。そのまま一言「お疲れ様です」とか言って、会場全体に声をかけてしれっと帰るのが、こういう人にありがちなパターンだ。きっとそんなもんだろうと諦めかけた、そのときだった。

「あれ?」

彼女はワイドパンツにつけられた前後のポケットを、ぱんぱんと叩き始めた。

わかりやすく、何か忘れてるやつ。

ポケットに目的のものがないことを確認すると、今度はリュックのファスナーを開けて、ゴソゴソと底まで腕を忍ばせる。探し物をするその様子が、なんだか滑稽に映って、見ているこっちが照れてきた。あまりにも見つからないようで、助けるべきかと声をかけようとしたところで、目が合った。

「ごめん、携帯なくしちゃったみたいで。番号言うから、かけてくれない?」

ここでようやく、冒頭に戻る。これが、僕と彼女の始まりだ。

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明け方の若者たち

カツセ マサヒコ
幻冬舎
2020-06-11

この連載について

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明け方の若者たち

カツセマサヒコ

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」その16文字から始まった、沼のような5年間ーー。 2020年6月11日に発売する人気ウェブライター・カツセマサヒコさんのデビュー作『明け方の若者たち』。安達祐実さんや村山由佳さん、尾崎世界観...もっと読む

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コメント

katsuse_m 第二話 明け方の若者たち https://t.co/BRmNGP9uN7 5ヶ月前 replyretweetfavorite

z4yu1 あと9日… 横書きが縦書きになってフォントが変わるだけできっともっと素敵になるんだろうな 5ヶ月前 replyretweetfavorite

katsuse_m 『明け方の若者たち』cakes8日連続公開、更新されました。 彼女はひとり、店を出て行く。 第二話 | 5ヶ月前 replyretweetfavorite