ソーシャルメディアが広まってから、ネットいじめが悪化しているように思える。昔から学校や職場に存在した「いじめ」がそのままネットに移動しただけとも言えるが、いじめるほうが匿名を守れることや、広まるスピードが秒速だということ、何百人、何千人から攻撃されることなど、過去のいじめより打撃が大きいことは容易に想像できる。
ことに、有名人に対してはどんなにひどい言葉を投げつけても構わないと思っている人が多い。最近も、多くの人がよってたかって有名な女性を誹謗中傷する事件がいくつかあった。そして、ひとりの女性が死を選んだ。
こういう事件があるたびに、「何気ない自分の言葉が人を殺すことがあるのだ」と自分の行動を改めるよう呼びかける有名人が現れ、メッセージを伝える動画も多く作られている。
それにもかかわらず同じような悲劇が繰り返されるのは、なぜなのか?
私はずっとこれについて考えてきた。政治やフェミニズムに関わるコラムを書く私も、よく誹謗中傷のターゲットになるからだ。ひどい評価を与えるために私が執筆したものを沢山読んでいる人や、私を“批判”するためにツイッターアカウントを作ったという人までいて、その執拗さは不気味だ。
ターゲットになる人は異なっても、誹謗中傷する人たちが使うテクニックはほぼ同じだ。彼らは、人がどういう言葉で傷つくかよく知っているので、それらを駆使する。そして、自分の攻撃で相手が深く傷つくことで自分のパワーを実感し、興奮や快感を覚える。正義を行使するヒーローかヒロインのつもりになっている人も、自分に酔うことができるという点で同じだ。いずれも、ドラッグのように依存症を作る感覚なのだろうと私は思っている。
快感に操られている加害者に対して「自分がかけた言葉で人が死ぬかもしれない」という警告はさほど効果はないだろう。彼らが他人を自殺に追い込んでから慌ててメッセージやアカウントを消しているのは、自分の行動を恥じたからではない。責任を問われることが怖くて逃げただけだ。「自分のこと」しか考えられないこれらの人たちに「相手の傷つく心を想像しろ」と反省を期待しても虚しいだけだ。加害者の人生は壊れない。かつて自分が傷つけた恋人の自殺をメランコリックに語る作家が世界中にいるが、誰かに傷つけられて死んだら、生き残った者にいいように利用されてしまうだけだ。
死んでいいことなんて何もない。
ゆえに、今回のコラムで私が語りたいのは、加害者や潜在的加害者への「やめましょう」というお願いではない。
誹謗中傷を受けている人への「他人のことなんて考えず、誰よりも自分を優先しなさい」とメッセージだ。また、「いじめを楽しむ人はこの世界から消えない。だから、徹底的に自分を守ろう」ということも伝えたい。
もし誹謗中傷のターゲットになったらどうするか?
気が弱いことを自覚している人は、「空想の親友」を作るといいかもしれない。なぜかアメリカでは子どもの頃に空想の友だちを持つ子どもが多いようで、英語の心理学の用語では「イマジナリーフレンド」と呼ばれている。たまに悪友もいるようだが、この場合には、自分を最も理解してくれる、優しくて頼りになる気が強い親友だ(空想の親友が不要な人は、ただ客観的になるだけでいい)。
嫌な言葉を投げかけられたら、まず深呼吸しよう。そして、空想の親友に「あなたは悪くない。悪いのは、誹謗中傷依存症の彼らだ」と説得してもらう。それから次のプロセスの最初の質問に答えてもらう。
その後で、親友に支えてもらいながら、最後までプロセスをまっとうしよう。
誹謗中傷を受けたときに使う思考回路と行動のチャート
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