カオスとフラクタル(山口昌哉)後編

『カオスとフラクタル』書評、後編です。前回紹介されたように、一見無秩序のように思える「カオス」も、数式を使わなくても数学的な現象として説明することができます。しかし著者山口昌哉は、あえてそのような手法をとりませんでした。そこに本書の意義と魅力があるとfinalventさんは評します。

著者・山口昌哉の数学への思い


カオスとフラクタル ちくま文芸文庫

 「カオスとフラクタル」という数学的な現象はパソコンで実際に試すこともできるし、その意味について数式を使わずに表現することも可能である。だが、本書『カオスとフラクタル』の特質はそうした手法をあえて採らない点にあり、むしろ、「カオスとフラクタル」という数学的な現象を例として、数学という学問のもつ、自然科学的な側面の魅惑を解き明かした点にある。極論すれば本書は、「カオスとフラクタル」の解説書というよりも、その現象を通して、数学という学問の精神を伝える書籍である。

 数式を使っているという以外で、具体的に本書のどこが数学的なのか。第1章を読み進め、その半ばの手前で登場する「パイこね変換の力学系」にもその特徴が見られる。ここでは、パイをいくども重ね折りして伸ばしていくと、パイに含まれた成分が生地全体にランダムに分散することが、図解、グラフ、数式で解説される。文脈としては、自然数を変数とする離散系の例題ということであり、そのランダムな特性が「カオス」に暗示させられていることが理解できる。だが、なぜ本書の入り口部分で「パイこね変換」が提示されたのかと考えると多少理解しづらい。その数学的な意図を想像してみたい。

 本書には明示されていないが、「パイこね変換」は簡素な凸型の二次関数に対して三角関数を使って変数変換すると生まれる。カオス現象の発見のきっかけとなった二次関数によるカオス発生の特性(初期値に対する依存性)を、より明確にするために数学的にモデル化されたのが、「パイこね変換」のテント型グラフだったのである。このことは第1章の末尾になって、種明かしのように、それが$4x(1-x)$と同じだと示されることからわかる。

 山口の脳裏には、カオス発見の経緯的な説明や、それに関連する二次関数を使った説明よりも、先んじてカオス現象の本質を示す数学的なモデルを読者に提示したいという思いがあったのだろう。この思いは、冒頭の、対数グラフによって1次関数に変換されるイメージともつながっていたに違いない。

 さらにこの思いが、「パイこね変換」の数列的な解説に深入りさせた。種明かしの前の、第1章の終わりで彼はこう述べている。

 これで,証明しようとしたことは全部終わった.いくぶん複雑であったが,成果はあった.成果は思いがけないことであっただけに,その証明に手間取ったわけである,一つには数学者というのは,このようなことをやっているのであると,読者に数学者の活動の一端を紹介したかったという気持ちがある。


 本書は、理系的な書籍を読み慣れていない人には、数式が多く、また入り口部分に口当たりのよい挿話もないことから、無味乾燥な印象があるかもしれない。しかし数学的な思考から、さらには数学者の気持ちというものを表現した情感的な書籍なのである。ここに数学者・山口昌哉という人間が立ち現れてくる。

 山口は『哲学者クロサキと工学者アイハラの神はカオスに宿りたもう』(アスキー出版)の対談で、カオスに興味を持った経緯を哲学者の黒崎に問われたとき、こう答えている。

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