仁徳天皇の即位と皇后
仁徳元年正月三日、オオサザキは天皇の位に即きました。
先の皇后を尊んで、皇太后と呼びました。難波に都を造りました。これを高津宮(たかつのみや)※1といいます。
宮殿は上塗りせず、垂木や柱は装飾をしませんでした。屋根を葺(ふ)く茅の端は切りそろえませんでした。民の、耕したり紡いだりする時間を、自分の用事のために、奪ってはならないと思ったからです。
天皇が生まれた日のことです。
一羽の木菟(つく)※2が、産殿に飛び込んできました。
翌日、応神天皇は大臣(おおおみ)・タケウチノスクネ(武内宿禰)を呼んで、
「これは何かの吉兆だろうか」
と尋ねました。大臣は、
「吉祥です。また、昨日、私の妻が出産したとき、鷦鷯(さざき)※3が産屋に飛び込んできました。これもまた不思議なことです」
と答えました。天皇は、
「私の子供と大臣の子供が今、同じ日に生まれ、共に吉祥があった。これは天上の啓示である。どうだ、その鳥の名を互いに取り替えて、子に名付け、後世へのしるしとしよう」
と言って、鷦鷯の名を取って皇子をオオサザキとし、木菟の名を取って大臣の子に名付けてツク(木菟宿禰)としました。これが、平群臣(へぐりのおみ)※4の始祖です。