※これまでのお話は<こちら>から。
がんとともに生きる母
「なんか、諦められてるよね」
いつもの通院治療の帰り道、主治医の話を聞いた後、母が言った。
「生活において気をつけるべきこと、食べてはいけないものはありますか?」と聞くと、主治医はいつも、「特に規制はありません。食べたいものを食べてください」と言う。
母のガンの原発巣は『十二指腸乳頭』というきわめて発見しにくい場所にあり、がんが発覚した時には、すでに他の臓器にも転移がみられていた。手術もできない。放射線治療もできない。残された道は抗がん剤治療のみの、ステージⅣ。
抗がん剤治療が始まる際に、その前にやったほうがいいことや、こちらで何か避けるべき行動があるかと聞いても、答えは『特にない』。
私は拍子抜けしたように、そんなもんか、まあ我慢しなくていいならよかったと思っていた。
でも同時にそれは、母のがんに抗う手段が、私たちにはほとんどないと、つきつけられているような気もしていた。
食欲があるうちはあるし、失う時は失う。元気があるうちはあるし、ないときはない。だからできることは、できるうちにやっておいたほうがいい。『規制されないこと』はそんな意味を孕んでいたと、今ならよくわかる。副作用と付き合いながらがんと生きるということは、つまりそういうことなのだ。
母のがんは、父の病気のように目に明らかなものではなかった。元気な時は元気で、一見変わらないいつもの母を、母も装おうとし、私は私で、母の病気は存在しないものだと信じたかった。
がん治療の何よりの薬
― 2017年 父65歳 母61歳 私32歳 ―
母の通院治療は、抗がん剤の種類によって異なるが、基本的に3週間を1クールとしていた。『病院で点滴→その後2週間、自宅で服薬→1週間休薬』という一連の流れを経て、何クールか通院治療を繰り返し、血液検査やCT検査を挟み、経過を見る。一定の効果が見られれば継続し、あまり効果が見られないようであれば違う抗がん剤を試すことになる。
1種類目の抗がん剤を試した頃、通院で点滴をした直後から『指先や口の中の感覚異常』の副作用が現れた。
その薬の服薬期間中は、冷たいものに触ることもできず、常温のものしか口にできない日々が続いていた。夏場だったこともあり、食べられないと思うと、冷たいものを食べたい!という欲求は高まるらしく、「あ〜アイス食べたい…かき氷もいいな…」と母は繰り返していた。
休薬期間を迎えた頃、母の念願を叶えるべく、私たちは人気のかき氷店へ行った。暑い夏の日、店頭にはすでに人が数名並んでいて、普段なら行列には並ばないが、めげずに並んで、30分ほど。
そして対面したのは、これでもかというくらい桃の蜜がたっぷりかかった、天然氷のかき氷だった。
「ああ………本当に美味しい…」母が悶絶している。
服薬のご褒美のように貪るかき氷は、母にとってはとてつもなく甘美な味だったことだろう。
特にご褒美を得る理由もない私にとっても、かき氷は本当に美味しかった。
「さっき食べたのに、もう食べたいね」
桃の蜜をウットリと思い出しながら、嬉しそうに母が言った。
母はもとよりアクティブな性格で、「食べたい」と思えば出かけるし、「行きたい」と思ったところには行く。何かをしたい、どこかへ行きたいという欲求が、抗がん剤の辛さを乗り越えるモチベーションであり、何よりの『薬』になっていたように思う。
多少の無理をしてでも出かけるエネルギッシュな母を見て、いつの間にかがんも消滅しているのではないだろうかと、そんな風に信じたい気持ちで、私はいつも片目を瞑っていた。
そして抗がん剤治療は続く
― 2018年 父66歳 母62歳 私33歳 ―
1月、2種類目の抗がん剤で、母の髪の毛が抜けた。
本人には私の想像を超えるショックがあっただろうし、気も滅入ったと思う。しかし母は、ものすごく落ち込んでいるという様子も見せなかった。夏場でも家族の前で帽子を脱がず、外出時にはかつらを着用していた。
寝ているときにふと帽子を外したところを見たときは、こちらも思わず目を逸らして見ないふりをした。家族にだって、見せたくない姿はあるだろうと思ったし、何よりも私が見たくなかったのかもしれない。
しかし母の体を蝕むものは、次第に隠せないものになっていった。
6月、3種類目の抗がん剤に移行したとき、母を大いに悩ませたのは、吹き出物や、皮膚のただれの副作用だ。薬を変えるごとに変わる副作用に対応し、体を維持するための薬がまた増えていく。湿疹を掻いてしまい、洋服にはうっすら血がつくのが日常になった。指先もひび割れ、水に触るのがつらいと言う。
元より、点滴を受けた直後の2〜3日ほどは、副作用が強く出るため寝込みがちだったが、この頃になると点滴後の回復が徐々に遅くなり、1週間近く寝込むようになってきた。疲れやすくなり、体の痛みを感じて横になる時間も増える。腹痛や倦怠感のせいか食も細り、食べられるものが徐々に限られてきた。本来がんの症状を抑えるはずの抗がん剤なのに、母をベッドから起き上がりづらくしているのは、薬の副作用のせいなんじゃないか?とも思わされる。