「人に期待しない」の正しいやり方
「俺は人に期待していないから」と言いながらめちゃめちゃ期待してるじゃないですか、と思った話。
「人に期待しない」というのは、人生を軽やかにする方法としてよく聞く言葉だ。だけど、その使い方や捉え方に、もやっと違和感を覚えることもよくある。 「どうせ俺をバカにしているんだろう」「どうせ何を言っても口だけだろう」「どうせ俺が困ってもたすけないだろう」と、「どうせ」のオンパレード。そして「それが俺にはわかっているから、はじめから期待しないんだ」と言う。
このように「人に期待しない」というのは「どうせ裏切られるから信じない」という意味で使われることがある。
でも、いやいやいや、それめっちゃ期待してるじゃないですか、と思う。
裏返せばそれらはすべて、「認めてほしい」「信じたい」「たすけてほしい」「愛してほしい」と叫んでいるようにしか聞こえない。 「愛してほしいけど、愛されなかったときにショックが少ないように期待していないことにする」というだけのことだ。
わかりすぎるほどにわかる。もやっとするというのは自分にも身に覚えがあるからで、まさにわたしも20代はまちがった意味で「人に期待しない」と思っていた。
ドラマ『カルテット』の中でこんなセリフがある。
ドラマ『カルテット』第2話より
自分が描いた未来と現実がちがったとき、その落差が大きければ大きいほど悲しい。「思ったのとちがう」は悲しい。ぬかよろこびは悲しい。「浮かれてしまってバカみたいだな」「期待した自分が悪かったな」と思ってしまう。
受け止めてくれると期待して飛び込んだプールに水が入っていなくて大怪我をしたり、一緒に走っていると思って振り返ったら誰もいなかったり、そういう経験は誰にでもあると思う。怖いし、もう同じ思いは二度としたくない。
でも、だ。傷つくことを防ぐための「期待しない」は「好きだけど好きじゃないことにする」「楽しみだけど楽しみじゃないことにする」という単なる感情の抑圧でしかない。 そして、それをくり返していると、ほんとうに楽しみなとき、好きなものや人に会ったとき、心が動かなくて、ほんとうはどう思っているのかわからなくなってしまう。
ではどうしたらいいのかというと、わたしは「他者を大事にすること」だと思う。
人に期待しないというのは、他人は自分の思い通りには動かないと知ることだ。「思ったのとちがった」と傷つくのは、自分の思い通りにいかなかったことへのショックだ。
そのときに、ショックを減らすための「期待しない」ではなく、相手がどんな選択や行動をしても尊重することで、他人の意思はその人のもので、自分の思い通りにいかないことを認めると、ショックを受けたとしても、自分を否定しなくてすむ。
たとえば先の「どうせ俺が困ってもたすけないだろう」という「期待しない」は、先回りして自分を守っているだけで、相手への敬意はない。
自分がどんな状況でも、まず相手には関係ない。相手がどう思いどう行動するかは、相手が決めることだ。 相手の感情や選択を先回りして決めつけることは、相手に失礼なことだと知ると、自分にできることは「自分のことをちゃんと出す」だけだと思う。もし自分が正直に出したものに対して不誠実な対応が返ってきたら、そのときは完全に相手のせいにすればいいし、相性が悪いとわかってよかったと思う。
「人に期待しない」とは「相手を大事にする」ことで、自分に嘘をつかずに誠実に自分を出すことだけが大事になると、結果的に「自分を大事にする」につながるのだと思っている。
「人に期待しない」の正しいやり方はなかなか難易度が高いけれど、やっぱり人生を軽やかにしそうだ。
「価値観がちがう」の失敗から、大事なものを見つける
仕事を辞めるときや、恋人と別れるときなどに、よく「価値観がちがう」という理由があげられるけど、「なんの価値?」と聞くと、答えられないことが多い。
「選ぶものがちがうから不快」という不満の中には、自分が譲れない大事なものがあるから、解像度を上げてちゃんと知ったほうが後々のためにいいのにな、と思う。
たとえば仕事で、「成長を求められるのがイヤだ」と不満を感じている。自分は毎年毎日ずっと同じ作業でもよくて、とにかく穏やかに単調に働きたい、という場合、どうしてもそれが合わないしガマンできないとわかったなら、辞めて職場を変えたほうがいいと思う。でも、それを「価値観が合わなかった」のひとことですませたり、「あの会社がおかしい」と片付けるのはもったいない。
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