自信がなくてもよくない?という話
「どうやったら自信がもてるんですか」と聞かれることがあるけど、いつも「わたしも自信なんてないよ」と答える。
「自信」という言葉をどのようなイメージで使っているか、人によって多少ちがうので、調べてみると、こう書いてある。
「デジタル大辞泉」より
やっぱりわたしは自信をもっているとはとても言えない。でも、自信がなくても別によくない?と思っている。
先日、ものをつくる仕事をしている友人と話していたら、その友人は数年前、わたしに「自信がなくてしんどいんだけど、どうしたらいい?」と聞いたのだという。
わたしは、「自分の仕事に自信がないと、バランスが悪い仕事を依頼してくる人が寄ってきて(仕事を安く依頼してくる、言う通りにさせようと操作してくるなど)、それを受けてしまうとさらに自信がなくなるというスパイラルに陥ってしまうから良くない。自信がなくても、とにかく敬意をもてる人の仕事だけを受けるようにしたら、その人たちのためにいい仕事をしようと努力をするし、誇りをもてるようになると思う」と言ったらしい。
そして今、その友人はいい仕事を生き生きとしていて、名だたるアーティストとコラボなどもしている。彼女は、とにかく「断ること」をがんばったと言っていた。自分の発言はえらそうで恥ずかしいけど、そうなんだよね。自信がないからといってイヤなことをしてはいけない。それだけでいいと思う。
それから、わたしはよく「自信がないことは相手には関係ないよ」と言う。
自分の能力を信じられないとしても、相手が自分に向けてくれた好意や期待や信頼は相手のもので、自分の都合で受け取らないのは失礼なことだ。自信をもつのが先なのではなくて、相手に敬意をもつのが先だと思う。
「自信がない」と言う人の多くは、そのあとに「だから〜できない」と続く。そしてそれは、大体できなかったときに自分が困るのではなくて相手に迷惑がかかると思っているし、自分の行動よりも他人にどう思われるかのほうが大事だったりする。
自分の行動を信じるかどうかと、他人にどう思われるかを関係ないものとして切り離して考えることができると、自信をもつことを意識するよりも、他人の評価で動かないと決めることのほうが大事だとわかる。
わたしが「自信なんてないよ」と言うのは、自分の能力や価値を信じているかと問われると、答えはノーで、いつも自分を疑っているからだ。
自分のことだけではなくてすべてに対してそうなので、これは単にクセなのだけど、なんでも「それってほんとうかな?」と、いつも疑って考える。だから、自分の能力や行動に関しても、信じているかというと「わからない」なのだ。
それが悪いことかというと、そんなことはない。わからないから試しにやってみるし、わからないけど「この人が言うならそうなのかも」と思える人とだけ一緒にいたいし、わからないけどこの人が見ているからもっと良くなりたいと願う。
自信がなくても、敬意をもって信頼できる人と一緒にいることと、イヤなことをしないことは、自分で選択できる。わたしはいつも自分の考えやできることを疑っていて、つまり自信はもてないけど、それでも、今のところ信頼できる人がいるので、とりあえず大丈夫だ。
自信がなくても、ないままでも、なんでもできるよという話。
誰になんて言われるとうれしいか
「人からなんて言われる(褒められる)とうれしいですか?」と、何人かの友人に質問をしたら、ほんとうにそれぞれで、その人らしくて、とてもおもしろかった。
ある人は「かっこいい」と言われるのがいちばんうれしいと言い、ほかの人は「努力してるね」「楽しそうだね」「かわいいね」「頭がいいね」と言い、それぞれの答えがあった。誰に褒められるかにもよるし、恋愛面で言われるのと仕事面で言われるのではうれしい言葉がまったくちがうという人もいれば、どんな人に褒められても別にうれしくないという人もいた。
今の時代は、SNSで他人の目標や努力や達成の様子なんかが目に入るから、つい比較して「自分はできていないな」と思ってしまったり、全方向でがんばっていないと足りないと思ってしまったりする。それはつらい。SNSは承認欲求を満たす場だと言われることがよくあるけど、今はそれもむずかしくなっているように思う。他人の承認欲求を満たすと自分が欠けていくような気がするのではないか。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。