「ジーコショックの再来」という一抹の不安
ブラジルワールドカップまで、残り9カ月を切った。メディアを含むサッカー関係者は、ザックジャパンの躍進を願いつつも、実は拭い去ることができない一抹の不安と戦っているのではないかと想像する。
それは、ジーコショックの再来があるのではないかという恐怖だ。
2006年ドイツワールドカップ、あまりにも国民から期待されすぎたジーコジャパンが惨敗を喫したとき、2002年から続いていたサッカー熱は急速に冷え込んだ。オシム就任効果でいくらかは底を支えたかもしれないが、サッカーメディアは休刊・廃刊の嵐、キリンカップもスタジアムの席が埋まらず、テレビ視聴率も低調な時代になった。
僕にとって、紙媒体デビューを果たした思い出のサッカー雑誌『STAR SOCCER』も、その流れの中で廃刊となっている。
ちなみに当時、僕がSTAR SOCCERで初めて書いた記事のタイトルは、「フランクフルトが中国犬を不幸にした!? ドイツで明かされたキング・オブ・ソーセージのヒミツとは?」。
なんのことだかよくわからないタイトルだが、掻い摘むと、歴史あるフランクフルター・ソーセージやウインナー・ソーセージの名前には由来があったが、それがアメリカに伝わったとき、見た目が犬に似ているという理由で、ホットドッグという呼称に変わった。そして、そのホットドッグがアメリカから中国に伝わったら、「Hot Dog」という言葉を真に受けた中国人がアツアツの犬をパンに挟んで食べちゃった、という、最後はブラックジョークを含む笑い話。サッカーのサの字もない記事だったけど、ドイツワールドカップを楽しもう、という遊び心のままに書いたコラムで、自分が過去に書いた好きな記事トップ10に入ると思う。
話がそれたが、そんなサッカー熱が急速に冷え込んだのが2006年であり、上記のような、ユル~いコラムを書く場所も余裕もどんどん消えた。ザックジャパンがもし、2014年ブラジルワールドカップのグループリーグで惨敗することがあれば、またあの冬の時代がやってくるのかもしれない。休刊、廃刊、閑古鳥…。南アフリカワールドカップのベスト16と、アジアカップ優勝という結果で、これだけ日本代表が盛り上がったのだから、その逆も充分にあり得る話だ。
栄枯盛衰は避けられないことなので、それ自体について僕自身はあまり気にしてないし、気にしてもしょうがない。そもそも僕みたいなマニアックな書き手に栄枯が影響するのかどうか、よくわからない。
だけど、この8年間で日本のサッカーはより文化としての地位を築き、社会に必要なものであるという価値観を高めることができたのか。それとも、やはり結果だけに一喜一憂して移り気に消費される旬のアイコンにすぎないのか。そこはやっぱり気になるのだ。前者を成し遂げるために、僕の仕事があると思っているから。
明らかに日本人の
サッカー観が成熟されてきた
そういう視点で言えば、グアテマラ戦とガーナ戦はちょっとうれしいことがあった。
日本代表戦と言えば、今までは選手がミスをするたびに「ア~~ッ」というネガティブなため息がスタジアムに充満したり、何の効果もないヒールキックで「オーッ」と盛り上がったり、まるで芸能人のイベントを観戦に来たかのような雰囲気が強かったと思う。とてもじゃないが、選手のモチベーションや闘争心が高まるようなスタジアムではない。
ところが、グアテマラ戦やガーナ戦では、選手が一生懸命に守備をしたり、走ったり、といった地味なシーンにも「パチパチパチ!」と自然な拍手が起きていた。これはプレミアリーグなどに見られる光景だ。日本でもいくつかのJクラブのスタジアムには増えてきたが、ライトファンが多く集まる日本代表戦にもそれが見られるとは……正直、驚いた。特にガーナ戦はその様子が顕著だった。
少しずつだとしても、サッカーの見方、サッカーへの関わり方が成熟されてきたのだろうか。試合結果や選手のキャラクターだけではなく、サッカーの奥深さに触れようとする気運が高まっている…。そんな印象を受け、僕はうれしくなった。
そして、そんなことをTwitterでつぶやいてみたところ、さまざまな反応を頂いた。その一つが、
「良いプレーに拍手だけでなく、悪いプレーにブーイングは起こらないのでしょうか? 特にグアテマラ戦は、ハーフタイムにブーイングが起こってもいい内容でした」
というもの。たしかに一理ある。僕自身も、2-4で敗れた8月のウルグアイ戦で、試合終了後に宮城スタジアムの観客から拍手が起きたときには正直、ずっこけそうになった。負けて拍手ということは、日本代表に負けて欲しいのか? と。
ただ、こんな反応をしてくれた人もいる。
「ベガルタも楽天もそうですが、叩いて伸ばすよりも、チームや選手に寄り添いながら育てようという意識が強いのかもしれません」
なるほど。土地柄もあるのかもしれない。これは僕自身の経験だが、以前、あるチームでサッカーをしているとき、なかなかパスを出さず、ドリブルばかりで1人相撲をする人の対処に困ったことがあった。同じことをみんなが心の中で思っていただろう。そのとき、一人の御仁がズンと前に出て言い放った。「持ちすぎずにパスを出せよ」。すると、言われた方はカチーンときたのか「は? 全然持ちすぎじゃないし。ドリブルの何がいけないの?」と真っ向から論争勃発。
うーん、これじゃあうまくいかないなあと思った僕は、別の日に、やり方を変えてアプローチしてみた。そのやり方とは、ドリブルを否定するのではなく、パスを出したときに褒めるということ。「ナイスパス!」と常に声をかけ、たとえ失敗しても、「惜しい! 通れば1点だった」と。うまくコンビネーションが決まったら、もちろんハイタッチ。ちょっと大げさなくらいに。
すると不思議なもので、ドリブルばかりしていたその人から、欲しいタイミングでパスが出てくるようになる。チームがうまく回り始めた。パスが出ると分かれば、周りも動き出しが活発になるので、どんどん循環が良くなる。
やっぱり、いきなり自分を否定されて、良い気分になる人はいない。だから否定するのではなく、良いプレーを肯定しながらチームを作る。たとえばザックジャパンの場合、前線からの厳しいプレッシングがチーム戦術の肝になるので、それがうまくハマってボールを奪ったときには、惜しみない拍手を送る。すると選手は「地味なプレーも見ていてくれる」と感じるだろうし、背中を押すことができるのではないか。
セルジオ越後さんが言うように、ブラジルのファンが厳しく叩いてセレソンが伸びるという理屈も分かるし、ブーイングがあってもいいと思うが、割合として、どうだろう。僕は日本人に合っているのは、褒めて伸ばすことをベースに置くほうじゃないかと思う。日本人は自分に対して批判が飛ぶと、何もかも、人格ごとすべて否定されたような絶望的な気分になり、狼狽するところがあると思う。批判文化、個人主義が浸透している他国とは文化が違うし、何もかも一緒でなくてもいい。
みなさんはどう思うだろう? どちらにしろ、ブーイングや拍手はスタジアムで誰かが始め、それにどれだけの人が乗っかるかだ。居酒屋では結論が出ない。10月と11月は欧州遠征なので、しばらく国内では代表戦が行われないが、今後も見守っていきたいポイントだ。結論は、スタジアムで。
さらに、こんな意見も頂いた。
「対戦相手のスタメン発表に、拍手が起きることにビックリ」
グアテマラ戦でもガーナ戦でも、たしかに相手選手のコールに対する拍手はあった。闘争心の充満したスタジアムで起きることではないし、物足りなく感じる気持ちも理解できなくはないが、個人的には素晴らしいことだと思う。対戦相手を敬うのは、決して悪いことではない。ウルグアイ戦後にフォルランが日本人のホスピタリティに感動していたように、これは日本の個性として、むしろ強めてもいいとさえ思う。拍手を送り、敬った後で、正々堂々とバチバチ戦う。それでいい。それがいい。
また、相手チームの国歌斉唱を日本人が静かに聞いている現象を、外国メディアはサプライズとして取り上げたこともある。たとえ他の国と違っても、素晴らしいことは日本からどんどん広めるべしと思う。
柿谷の定着で
ザックジャパンはどう変わるのか?
ピッチ外の話が長くなってしまったが、ここからはザックジャパンの中身に話を移そう。
コンフェデレーションズカップ以降、明らかに序列が変わってきたのが1トップのポジションだ。2列目とのコンビネーションが良く、裏のスペースへ飛び出す意識も活発な柿谷曜一朗が、一番手に名乗りを挙げている。
そして、これは以前からスポーツナビの原稿などで言及し、先日お台場で行われたトークイベントの際にも少し話したことだが、ザックジャパンは1トップに続き、右サイドバックの内田篤人のポジションが徐々に脅かされつつあると僕は感じている。