各国政府がいろんなやり方でそれぞれCovid-19と戦っています。
正解はどこにもなく、それぞれが命と経済のバランスをどうするか、リスクをどこまで取るかに頭を悩ませていると思います。
比較的うまくやっていると見られていたマレーシアですが、やはり例外ではない。マレーシア政府が5月1日にとつぜん、5月4日から行動制限(MCO)を緩めると発表しました。
経済活動は一定の条件で再開。レストランは「社会的距離」や消毒液の常備などを守った上で一部再開可能。学校や宗教での集まりは引き続き不可。スポーツは身体の接触がないものに限ってOK、というものです。
首相は発表の席で、「国民の皆さんには心配があると思う。私も同じです」と率直に言っています。
さて、興味深いのは、この後の人々の反応です。
政府の緩和に喜ぶ人が多いかと思ったら、その逆で、心配する声が圧倒的なようです。
例えば、マレーメールがFacebookで行った調査によれば、85パーセントの国民が、行動制限(MCO)の延長に賛成しています。
また、行動制限緩和のキャンセルを求めて2日で50万人もの署名が集まっています。
内容はこんな感じです。
・移動制御命令をあまりにも早く終了させた国々の過ちから学ぶよう、政府に要請します。
・現場の労働者の疲れを懸念します。
・健康問題や従業員の福利厚生を考慮せずに利益のみを優先する資本家に屈しないように政府に要求します。
・私たちの国の未来のためにMCO継続を希望します。
相手をダメだと見下したり、無用な怒りを表現したりするのでなく、敬意を保ちながら、理性的に必要なことを求めるこのやり方、いつもながら見習うことが多いです。
9つの州がこの条件付き移動制御命令に従わず、独自の制限を設けることを宣言しましたが、人々の意見を反映したためかもしれません。
どちらが正しいかは置いておいて、政治は人々のものなのだなとつくづく思います。
どうすれば政治の議論が根付くのか
とはいえ、元々、マレーシアでは60年も1党独裁が続いてきたのです。
ところが、世界で最大規模と言われる与党の汚職事件をきっかけに、その弊害に人々が気づきました。彼らはデモを行い、人種や宗教を超えて繋がり、投票で選挙に勝ちました。その政府にお金がないと知ると、クラウドファンディングをはじめました。そういう国なのです。
マレーシアでは、小学生でもチャットで政治の話をします。息子の中学校の仲間たちも同様です。
こうして、全員が「自分のことだ」と捉えて、政治を変えた結果、今があります。
どうしたら、そうできるの?と思われるかもしれません。
ペナンに住む長塚香里さんは、マレーシアの各種のFacebookグループで見えてきた政治議論をこう評しています。
個々の立場で言いたい事はあっても、個人攻撃しない、罵倒しない、汚い言葉も飛び交わない。時々おかしな人も乱入するけど、そんな時の対象方法まで含めて勉強になります。
(中略)
どうしたらこんな風に成熟した議論ができるのだろう?と、私はいつも羨ましい気持ちになってしまうのですが、マレーシアだって一夜にしてこうなったワケではないんですね。
過去には人種間の大きな対立もあったし、長年の腐敗した政権を選挙で倒したり。自分たちで行動してきたからこその、今なのだと思います。受け身の人が実に少ないのです。