死ぬ方は、もしかしたら楽なのかもしれない
気がつくと、幡野さんと話しはじめてから、2時間が過ぎていた。
明るく、気負わず、ほどよく脱線する話があまりにも楽しくて、時間の感覚を失っていた。
「幡野さん、本当にがんで死ぬんですか?」
「うん、死ぬ」
「私が言うのもおかしいんですけど、真冬に渋谷のテラス席なんかにいて、大丈夫なんですか?」
「そりゃこんなとこより、病院の減菌室にいた方が、リスクはないよね。でもそんなもん、つまらん人生よ。生牡蠣だって食中毒になるかもしれないけど、みんな食べるでしょ? 美味しいものはリスクがあって、楽しいことにもリスクがあるのよ」
だから幡野さんは、外で好きな人に会って、好きなことをして、それで寿命が多少縮んだところで、あんまり気にしないらしい。
「原稿なんて書いてないで、写真なんて撮ってないで寝てなさい!っていう人もいるけど、僕にとっての幸せってそういうことじゃないんだよ。原稿書いてる方が楽しいし、写真撮ってる方が楽しいから」
そんな幡野さんは先日も海外へ渡航して、大規模なデモの真っ只中に出くわしたそうだ。目の前に催涙弾が落ちてきて、好奇心で匂いを嗅いでみたら、意外といい匂いがしたらしい。
「なぜ、催涙弾を嗅ぐんですか……?」
「いや、嗅いじゃうんだよ。なんかね、線香花火みたいな懐かしい匂いがして、急に日本の夏の風景がブワッと浮かんだんだよね」
「それで泣きそうになるから催涙弾……?」
「違うよ! ただ、嗅いだあとにとてつもない痛みが襲ってきて。喉が炎症起こして結構えらいことになった」
ガハハと笑う幡野さん。
好きなことをしすぎているので、さすがにちょっとは気にしてほしい。
「病気になったのが自分ならいいんですけど、病気になったのが家族だったら『外なんて行かないで、病院にいて!』って言っちゃうかもしれません」
「気持ちはわかるけど、それって、結局は自分が悲しみたくないからでしょ?」
「うっ」
「本人が悲しんでるかどうかは別でしょ?」
「ううっ」
図星だった。
家族が病気になった時、食べ物も外出もなにもかも制限して、少しでも長生きしてもらおうとする人はいる。でも、それを本人が望むかどうかは、また別の話だ。
これはね、ちょっと言いづらいんだけど、と幡野さんは前置きした。
「死ぬ方はね、楽なんだよね。しんどいのは残された方だよ」
「あっ! それはすごくわかります。父は死んで無念だったろうけど、死んだらそれで終わりだから、残された母の方が悲しいし、大変だよなーと思ってました」
「ね。天国に恐竜とかいたら、楽しいしね」
天国に恐竜はいるんだろうか。それは楽しいんだろうか。
急な角度でジュラシックパークがコーナーを曲がってきたので、私は困惑した。
「僕は、悲しいかどうかじゃなくて、“残された方がいかに後悔しないか”を考えた方が良いと思うんだよね」
我慢の日々だったとしても、少しでも長生きしてもらって見送る方が、後悔しない人もいるかもしれない。
だけど、幡野さんは、死ぬ直前まで好きなことをやって、楽しみまくったのを見届けた方が、後悔が少なくなる人もいるはずだと言う。
「そっか……。自分が悲しいかどうかで判断するのをグッとこらえて、本人が何をしたくて、そのために自分は何をできるのか、なんですね」
「うん、死ぬ死なないに関わらず、僕はサポートってそういうことだと思う。サポートって相手にやらせることじゃなくて、相手を手伝うことだから」
私はまだ、家族が重い病気にかかった時のことを、想像できない。
想像する勇気を持つことができない。
寿命が縮んでも良いから好きなことをして良いよって、言えるイメージも持てない。
でも、サポートの意味だけは、絶対に間違えないように、心に留めておこうと思った。
選び続ける勇気を、幡野さんからもらった
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