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障がいを持つ子どもの親になったことを受け入れられません。
先日、女の子を出産しました。
先天性での異常が有り、今後身体的に不自由が出たり、意思疎通が取れるかもわかりません。
毎日が辛く、子どもを心から可愛いと思えません。
看護師さんや、周りの人たちから「この子はお母さんを選んで生まれてきたんだから」とか「神様は乗り越えられない試練は与えないんだ」などと良く言われます。
言われる度に辛くなります。言えないけど、そんなの選ばれたくなかったし、健康な子が良かったよと思います。
なんで自分の子なんだろう?そう思う度に、子どもに罪はないのにこんなことを考えてしまって申し訳ない気持ちと、自分には荷が重すぎて消えて無くなりたくなります。
旦那はなるようにしかならないとしか言いません。考えることから逃げているように思います。自分の親も義両親も口にはしませんが落胆しているのがわかります。
大きくなったら一緒に遊んだり、悩んだり、色んな話をしたりしたかった。
正直、義務感で育てています。
今は赤ちゃんなのでパッと見わかりにくいですが、これからどんどん違いが顕著になってくるんだと思うと苦しく、周りの健常児の子が羨ましくて仕方ありません。
障がい児とその親、という目で見られるのも苦痛です。
親になる資格や度量がなかったのかもしれません。嫌な親だと思います。でも育てなければならない。どうやったら周りと比べず子どもを心から愛して受け入れられるでしょうか?
幡野さんは質問に答えるとき、息子さんに相談されたと考えて答えるとおっしゃっていますよね。もし、息子さんの子どもが障がいを持って生まれて、一生話が出来ない子だったら、どう思いますか?悲しいですか?不幸だと思いますか?
ご気分を悪くされたら申し訳ありません。
このコロナ禍、幡野さんも神経を使う日々と思います。お身体ご自愛下さい。
これからも幡野さんの写真や文章を楽しみにしています。
(匿名希望 30歳 女性)
あなた正直ですね、本当にすごく正直。正直な人って誰かを傷つけてしまったりするのですが、ぼくはあなたみたいな人が好きです。正直な言葉って人の心を揺さぶりますよね。「神様は乗り越えられない試練は与えないんだ」なんていってしまうなんちゃってキリシタンのごまかしの言葉とは大違いですよ。
試練なんてなけりゃないほどいいし、神様に試練を返品したいっておもいますよね。神様、その試練はありがた迷惑だよ。
なんちゃってキリシタンの頬を殴っても、殴られた頬を手で押さえるだけで、反対の頬をだしてこないだろうっておもうと、本心から神様うんぬんなんておもってなくて、ごまかしの言葉なんだとわかります。
何をごまかしているかというと、その場の空気をごまかしているんですよ。なんちゃってキリシタンからすると気まずいんですよ、なんて声をかけたらいいかわからないから。あなたの気持ちを受け止めているわけじゃなくて、空気をごまかしているだけなんです。香りでごまかす芳香剤みたいなものなんです。
悩みは誰かに話すだけで楽になるなんていうけど、ちょっと誤解しているなってぼくはいつもおもうんです。話すだけで楽になるのは、正直に本音を話せたときと、それを否定されなかったときだけなんですよね。ただ話せばいいってもんじゃありません。
あなたのお子さんに対する正直な気持ちって、もう話せなくなっちゃっているじゃないですか? 家族にも友人にも医療者にもいえなくて、もしも話せばそんなこといっちゃダメよっていわれて、あなたが自己嫌悪におちいる無限ループ。
あなたはすでにお子さんの障がいとは別のものに苦しんでますよね。周囲の目と口なんて気にしちゃダメだよ。清廉潔白で聖人君子なマリア様みたいな母親でなければいけないと思っているんだろうけど、誰かの求める母親像になろうとしなくていいんですよ。それを求めてくる人間がごまかしの世界と言葉で生きているんだから。
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