モテを満喫した10代20代
スタイルがよく美人である、というのが彼女の最もわかりやすい価値だった。もちろん、私を含めたごく少数の仲の良い友人たちはもっと他の魅力、詩的な表現が巧みであるとか、料理が上手だとか、音楽の趣味がいいとか、そういうことを知っていたが、それでも私たちは人に彼女を説明する時に、モデルみたいな美人でね、と切り出す。そして彼女も、ただの美人ではないという自意識を持ちながら、美人だということが自身にとって大変重要だということは否定せずに自覚していた。
そして別に女を売るとか男性に媚びるとかいう次元ではなく、その価値を存分に発揮し10代を過ごし、20代を過ごし、27歳で婚活結婚するまで必死に働くことも必死にダイエットすることもなく平穏な日々を送っていた。
私は今でも、高校1年生の5月の彼女が載った高校生向けファッション誌を持っている。高校に入って夏休みあたりですっかり垢抜ける女子が多い中、入学式での彼女のずば抜けた都会っぽさと大人っぽさは、当然クラスのほとんどの男子に意識されるという結果に帰結し、彼女もまたその結果をしっかり享受していた。入学してすぐに隣のクラスの学年で一番金持ちでイケメンの彼氏と付き合って別れて他校の3年生や渋谷のフリーターなどとも付き合っていた。
大学選びもソツがなく、嫌味すぎないけどバカにされることはないミッション系の有名大学の法学部に入学し、当然司法試験の勉強などにも手を染めず、ジャガーに乗った彼氏と熊本の高級温泉に3泊で行ったり、読者モデルとして自慢のエルメスコレクションを全国的に公表したりしていた。大学を卒業する時に就職しなかった彼女を、悲観的に見る人も少なかった。港区の実家から何処へでも出かけられたし、探せばそれなりの働き口があるであろうことは誰にでも想像できたし、何よりわざわざ仕事人としてのキャリアを上書きしなくても、美しい彼女は十分に社会に受け入れられていた。
「私がモテるのって、黄金率的な美人じゃないからだと思う」という彼女の言葉はおそらく本心だし、言われてみれば黄金率的な顔ではないような気がしたが、彼女がモテるのは別の理由によるものだと私は思っていた。
彼女は自分が好きな服と男が好きな服の区別がよくわかっていた。自分の好きなメイクと一般的な好みの差を誰より心得ていた。心地の良い立ち振る舞いと美しい立ち振る舞いが必ずしも一致しないのを知り、また男が頼られるのを好きなことも、しかし同時に情けない側面も愛してほしいと思っていることもよく理解した。
今でも彼女と食事をすると、隣のおじさんたちが勝手に伝票を持って行ってくれたり、いつのまにか知らない男と次の店に流れていたりと、若い女の子に起こりがちな事態がたびたび起こる。女の私たちがスタイルが良い美人と感じる以上の、他で代替できない男にとってのたまらなさが、彼女に備わっていることは間違いなかった。
そして結婚する年齢を間違うことなく、遅すぎず早すぎない時に設定したのも彼女の巧みさがなせる技である。出会って2ヶ月ほどの人とスピード結婚し、銀座のレストランで質素な結婚パーティーを開いた。潔い彼女は「私の場合は、婚活が就活、旦那が上司」と昨年流行ったドラマのようなことを言って、ハート柄のエプロンや朝ご飯のスクランブルエッグを恥ずかしげもなく用意していた。
妊娠してお腹がだいぶ目立つようになっても、彼女の生活は少なくとも友人たちと接する範囲ではあまり変化したように思えなかった。彼女としては若干不本意な中流マンションに住んではいたが、バッグはフェンディだったし、友人の温泉や韓国旅行への誘いも断ることはなかった。子供が生まれたという報告の後、しばらくあまり出歩いてはいないようだったが、子供が生まれたら大体そんなものだと思っていた私は、別に気にすることもなく、時々ちょっとした連絡を取り合っていた。