枯野船(からののふね)を焼く。
ウジノワキイラツコを皇太子にする
応神三十一年八月、天皇は臣下たちに詔しました。
「枯野(からの)※1と名付けた官船は、伊豆国(いずのくに)から献上されたものだが、今は朽ちて使うに堪えない。しかし、長らく官船として働いた功績を、忘れてはならない。どうすれば、その船の名を絶やさず、後世に伝えられるだろう」
臣下たちは詔を受けて、役人に命じ、その船の木材を取って薪とし、塩を焼かせ、五百籠(かご)の塩※2を得ました。それを諸国に与えて、それにあやかって、船を造らせました。こうして、諸国は一時に五百隻の船を納め、それがことごとく、武庫水門(むこのみなと)※3に集まっていました。
このとき、新羅の使者が、同じく武庫水門に停泊していました。ところが、その新羅の船に、突然の失火があって延焼し、集まっていた船に燃え移って、たくさんの船が焼失しました。それで、新羅人を責めました。新羅王はこれを聞いて、気を失わんばかりに驚き、すぐに良い匠(たくみ)を献上しました。これが猪名部(いなべ)※4らの始祖です。
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