加害者意識」と「つながり」—withコロナ時代の子育てで変わる2つのこと

突然の離婚により、娘ふたりを育てることになった女装が趣味の小説家。「シングルファーザー」になってみると、彼にはこれまで想像もしなかったことが待ち受けていた……。今回は予定を変更して、ひとりの親としてコロナ禍のもと日々を過ごしている仙田さんが、これからの社会と子育ての変化について考えます。

もう元の世界には戻れない

この春、近所の子どもたちやママ友たちと楽しみにしていたお花見やBBQができなかった。

夏にはプールや旅行に行く計画を立てていたがそれも中止になったし、ほんの数か月前まで、私の家に大人7人子ども12人が集まってカレーパーティやたこ焼きパーティをしていたことが別世界の話のように思える。

学校は3月から休校が続いているし、保育園は開所しているもののひっそりとしている。2年生になった長女は勉強が2カ月もストップしたままだし、友達にも会えていない。

フリーランスとしてものを書く仕事をして生計を立てている私は、収入が激減した。数ヶ月後には貯金を切り崩してなんとか生きているという状態になるかもしれない。

経済的な不安以上に大きな不安もある。

—もし子どもが感染してしまったらどうしよう。

—もし自分が感染したら、子どもはどうなるんだろう。

—もし親が感染して重篤化し、万が一のことがあれば。

最悪の場合、ある日とつぜん子どもや親と引き離され、二度と会えなくなるかもしれないのだ。しかもこの生活は、少なく見積もっても数年は続き、今回の感染症の影響が何らかの形で落ち着いたとしても、私はもう以前の世界には戻れないだろう。

というのも、ワクチンが開発されるのにも数ヶ月から数年かかるだろうし、それが世界中に行き渡るまでさらに数年から十数年かかるかもしれない。集団免疫が獲得されるまでには、さらに時間がかかるだろう。

その長い時間、私たちは手洗い・うがいなどの感染症予防を徹底し、いわゆるソーシャルディスタンスを意識し続けなければならない。リモートワークが当たり前になり、外食の習慣はなくなり、旅行に行ったり遊園地で遊んだりもできなくなる。コンサートやスポーツは無観客配信され、博物館や水族館も基本的には動画撮影されたものをホームページから視聴する形で訪れる。

withコロナ時代では、子育てはこう変わる

そんな生活が数年も続けば、多くの業種では業態転換が避けられないだろう。

一旦そちらの方向へシフトしてしまえば、元の形に戻すのは膨大なコストがかかるだろうし、消費者もそれを望まなくなるだろう。というよりも、数年間は消費が冷えこみ続け、私たちは必要最低限のもの以外にお金をかける余裕がなくなるのではないか。たとえば外出する機会が減れば、おしゃれにかけるお金も少なくなる(個人差はあるだろうが)。

新型コロナウィルスとの共存が余儀なくされる時代、いわばwithコロナ時代には、インターネットが登場した後のような、あるいはかつての世界大戦の後のような、不可逆的なパラダイムシフトが求められるだろう。

もう元の世界には戻れない。

このことは、子育てや子どもにとってどんな影響をもたらすのか? 私には、大きくこの2つが考えられる。

・身体感覚の変化

・モラルの更新

身体感覚が変われば、心理的な距離が生まれる

まず、身体感覚の変化とは、ソーシャルディスタンスからもたらされるものだ。

ソーシャルディスタンスとは、もともと社会学の用語で、特定の個人や集団を排除するという意味があるらしいが、感染症を防ぐという観点からは、単に物理的距離を取るという意味で、フィジカルディスタンスとも呼ばれる。他人から一定の距離をつねに取り続けなければならない世界を、子どもたちはこれから生きていくのだろうか。

子どもには、スキンシップが欠かせない。7歳と5歳になったいまも、事あるごとに抱っこをせがんでくるし、夜には川の字になって眠る。友達と遊ぶときも、至近距離で顔を近づけるので飛沫が飛び放題だし、おもちゃも公園の遊具も、誰が触ったかわからないものにべたべた触れている。

私なり、友達のお母さんやお父さんに抱っこされたりハイタッチしたりするたびに、子どもは温もりを感じ、安心感や「自分はここにいていいんだ」という感覚を覚えるだろう。また、友達と遊んだり喧嘩したり仲直りしたりすることは、相手の身になって考えることや、悔しさや、自分とは違う価値観を知るきっかけになる。

こうした体験は、ソーシャルディスタンスを守っているかぎり希薄になっていくだろう。子どもは感染しても症状が出にくく、子どもから子どもへの伝播は起こりにくいとされているが、その見解もいつ覆されるかわからないし、「安心感」や「相手の身になって考えること」も命あってのことだ。

だが、安心感や相手の身になって考えることなどを、幼児期の身体感覚に染みこんだものとして持たないまま育てば、心理的な距離まで他人にも自分にも持つ大人になってしまわないだろうか。せめて他人と物理的に離れていても、心理的には近くに感じられるようでいてほしい。

プライバシーの領域のズレと「安心感」「相手の身になって考えること」

世の中も、これからテレワーク化が進み、テイクアウトで購入した料理を摘まみながらのオンライン飲み会が主流になり、テレビのニュースキャスターやコメンテーターも自宅から中継するのが当たり前になるかもしれない。

そのことは物理的な距離を広げるが、背後で炊飯器の音がしたり、赤ちゃんの泣き声がしたり、パンイチ姿のパートナーが横ぎったり、そんな光景も日常になれば、心理的距離は却って縮められるだろう。

つまり、プライバシーの領域はこれまでとはズレることになり、そのズレを社会全体がゆっくりと共有していくことになる。

「安心感」や「相手の身になって考えること」なども、これまでのように身体感覚に根ざしたものというよりも、空気に含まれる成分のひとつとして酸素を取り入れるように、情報の波のなかから自然に身につくようなものに変わっていかざるを得ないだろう。

モラルは更新され、危機感は加害者意識を育む

一方で、人々のモラルも大幅に更新されるだろう。

感染拡大防止のための各国の取り組みを比較してみたり、日本政府の政策へのさまざまな声を聞いたりしていると、命を守るということや、政治や社会とは何かということが、目の前の問題として私たちの生活に引きずりだされているように感じる。

私たちはかつてないほどのリアリティとともに、そうした問題に直面している。

withコロナ時代において、なかでも大きな変化を人々にもたらすのではないかと思えるのが、「もし自分が感染しているのに無症状で、それと知らずに誰かに感染させてしまったら…」という危機感だ。

言い換えると、加害者意識。

自分はすでに加害者なのかもしれない、という意識は、ミクロなレベルで人々の行動を変えていくだろう。

—今日1日の自分の行動が、最愛の人の命を奪ってしまうかもしれない。

そんな意識は強いストレスをもたらすだろうが、裏を返せば行動原理としてとてもシンプルで、加害者意識とともに暮らすことは「相手の身になって考えること」だし、それを守れていれば「安心感」を得られるともいえる。

つねに加害者意識と共にあるということの意味

その意味で、ソーシャルディスタンスによって身体感覚が変化したとしても、加害者意識が社会的に根付けば、子どもたちはwithコロナ時代においても、「安心感」や「『「自分はここにいていいんだ」という感覚』、「相手の身になって考えること」、「悔しさ」や「自分とは違う価値観」を知ることができるのではないか。

ソーシャルディスタンスの弊害として懸念されている、虐待やDV、孤独死などの増加を抑制することにも、そのことはつながるだろう。つねに加害者意識とともにあるということは、生活範囲で遭遇する人々すべてを気にかけることでもある。そうすれば取返しのつかないことが起こる前に、近所の人や通りすがりの人が気づいて防ぐ、といったことが可能になる。

リモート化、オンライン化が急速に進んでいくとともに、オフラインで人と会う場面は厳選されていくだろう。個人であること、孤独であることがかつてないほど意識される日常において、顔をあわせる家族や近所の人々、友達や恋人との関係は、おのずと相互扶助的な性質を帯びることになる。

—もし自分が感染していたら、あの人には移したくない。でも会いたい。じゃあどういう場所で、どんなことに注意しながらなら会えるかな。

こうした思考が根底にあって会う関係なら、それは損得や都合を超えた、相手のためならいざというときには行動を起こせる、というものだろう。

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女装パパが「ママ」をしながら、家族と愛と性について考えてみた。

仙田学

突然の離婚により、娘ふたりを育てることになった女装趣味の小説家。「シングルファーザー」になってみると、彼にはこれまで想像もしなかったことが待ち受けていた。仕事と家事・育児に追われる日々、保育園や学校・ママ友との付き合い、尽きることのな...もっと読む

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