※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや
毎週水曜連載「ハッピーエンドに殺されない」。
今回は、「自分の幸せは犠牲にしてみんなの幸せのために尽くすヒーローこそ正しい」という圧について、あの圧について、医療従事者の方のご投稿から考えていきます。感謝・感動に殺されない。
まきむぅさん、こんにちは。 いつも連載とTwitter拝読して元気をいただいております。
私は医療従事者1年目で、年明けに結婚する予定の人間です。 端的にいうと、正しくなければ後ろ指をさされるのではないかという恐怖と自分が幸せになってはいけないような感覚でしんどくなってしまっています。
昨今コロナウィルスが流行する中、いかに「正しい」感染予防策を伝えるかに力を注ぐ人も多く、医療従事者コミュニティともなればその手の人はさらに頻繁に目に入る状況です。
持てる知識と情報をプライベートでも提供するのはすごいことだな、と思うのですが、一方でお前も医療従事者なんだからプライベートも模範たれ、「正しい行動」を徹底せよという圧をどこからとなく感じてしまい疲弊しています。 正直自分は、メンタルが強くないので流行早々Twitterのミュートワードに「コロナ」と設定して入る情報を減らしている有様なのですが、医療職なんだからきちんと情報収集をしなさいと言われてしまい、頭を抱えています。
何が正しかったかなんて結果論でしか分からないこの状況で、一挙手一投足を後から正しくなかった!けしからん!と叩かれるのではないかと思うと憂鬱極まりないです。 いっそ医療従事者をやめてしまえばという気持ちにも駆られたのですが、仕事をしていて、やはり好きなものに関われるこの仕事は現状の天職だな…と思う次第です。
さてこの状況でさらに頭を悩ませるのが自分の結婚、結婚式の問題です。 周囲は年明けだしなんとかなるんじゃない?と励ましてくれますが正直楽観視はできないのではないかと考えてしまいます。 何よりまた、医療従事者のくせにこんな時期に結婚なんて(しかも1年目)と言われてしまうのではないか、早々に中止を決めるのが「正しい」のではないか…と思考が泥沼にはまっていきます。
正直、中国や日本でも結婚そのものを延期(式は延期せざるを得なかったのは分かりますが)してコロナ禍のために尽くした医療従事者がいて…みたいな話が美談のように語られることに違和感を覚えるのですが 自分もそうしないといけないのだろうかという気持ちに苛まれます。
学生時代に幸が薄そうな顔だ、幸せなのが似合わないととやかく言われ(単に黒髪で色が白いというだけで)、時にマウントを取られた(彼女たちはイジっただけのつもりでしょうけど)ことも尾を引いていて、やっぱり自分は幸せになるのは似合わないのだ、私の結婚式も需要無いしいっそやめてもだれも気にしないだろう、と自棄になってしまう面もあります。
正直、自分は自分だ!というスタンスで、自分なりの幸せを素直に享受したいというのが本音です…が こうしたい、よりもこうすべきだ、に心を占められていてしんどいです。 よそはよそ!うちはうち!と言える強さがほしいです。 まきむぅさんだったら、どうやって うちはうち!とお考えになりますか…?
お疲れ様です。本当。まじで。
正しくないこと言いますね。正しくないけど正直なこと言いますね。
わたしね、そういう人としゃべる時、そういう「〇〇ならば〇〇しなさい!」みたいな正しさ押し付けてくる人としゃべる時、まあ、一応ちゃんと話は聞きますけど、頭の中でその人の顔にこんなフィルターかけてさせてもらってるんですわ。
“ママが赤い口紅を塗ったことにパニクる5歳児”。
「マッ?
ママッ!?
ママぁ! ええ——んママ!! ママだれ!! ママかおちがう!! ママお化粧やだ! ダ——メ——!!!!!!!!!!!😫😫😫😫😫😫😫😫」
ぼくのかんがえた ただしい ママのすがた。ママはちゃんとママの顔をして家族のために頑張ってくれるのが正しいんだからね。みんなちゃんとぼくの言うとおりにしないとだめ! 言うこと聞かないと大きな声で泣いちゃうぞ! えーん! えーん!
「医療従事者ならツイッターでコロナをミュートするなー!😫」
「スーパーの店員ならお客様の言うことは否定するなー!😫」
「消防士が消防車停めてうどん食うなー!😫」
「本当に被害者ならメディアに顔出したり幸せそうにしたりするなー!😫」
ほっぺたを赤くして一生懸命怒ってるね。えらいね。生きてる。自分にとって安心できる世界を一生懸命守ろうとしてるんだよね。うんうん。生きてるんだよね。
という感じで、元気に泣いている子供をいつくしむような気持ちで、「ガキで幼稚だからしょうがないね」とか見下すんじゃなくてその命をいつくしむ気持ちで、その人の顔をしっかり見つめてその人の話を聞きます。で、言うことは聞きません。言うべきことは言います。
その人がわめいてる言葉はね、その人にとってこそ必要なんだと思う。こっちには特に必要ないです。だって誰がどうしろと言ってこようが、自分の選択の結果は、自分にしか責任が取れないことなんだから。他の誰にとって何が正しいかということにも興味はあるので話は聞きますけど、言うことは聞きません。それでアカンかった時、その人のせいにするような自分でいたくないじゃん? 想像してみ。
「やっぱりあの時思ったとおりに結婚さえしていれば……」
「やっぱりあの時思ったとおりにSNSから自分の心を守っていれば……」
「あの人が……あの人があんな風に言ったから……」
震えながら泣く自分のまわりで拍手が鳴り止まない。
「あなたこそヒーローだ!」
「私たち日本人の誇りです!」
「感謝!」
「感動!」
「#拡散希望」
震えながら泣く自分のまわりで拍手が鳴り止まない。何を言ってもかき消されてしまうだろう。ものすごい一体感を感じる。風……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。リツイートされていく美談。感動の実話ドキュメント。都合よく解釈された涙。もらい泣きしちゃいました。がんばろうと思いました。勇気をもらいました。みんなでつながっていきましょう。この教訓に学んでいきましょう。
必要な犠牲でした。
分かりますね?