大隈さんは真面目そうに見えるから、意外ですね」|百折不撓(六)1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。


 まだ丸山に行くには早い時間なので、大隈は林からもらった文書類に目を通すことにした。

 そこには、イギリス人医師が検視した結果が詳細に書かれていた。

 一人はロバート・フォードという火夫で、左の脇下から胸部にかけて刀傷があった。その傷口から、腹這いになっているところを斬りつけられたらしい。

 —左の鎖骨は切断され、右の鎖骨も切れ掛かっている。さらに右の首にある大動脈、喉笛、食道を切断した後、脊柱で止まるか。こいつは刃こぼれどころか、帽子折れしたかもしれんな。

 帽子折れとは刀の切っ先部分が折れることで、地面に横たわる者を斬った時以外になりにくいので、武士にとって恥辱となる。

 もう一人はジョン・ハッチングスという船大工で、右肩から刃が入って喉笛の手前で止まっていた。三角筋と鎖骨が切断され、上腕骨の一部も破砕されていた。

 —まずフォードから斬りつけ、続いてハッチングスという順だな。フォードは即死だが、ハッチングスは苦しみながら死んだはずだ。

 フォードを斬ることで刃こぼれした刀は、ハッチングスを斬る時には、威力を半減させていたらしい。

 —首に刃を叩きつけても、喉笛さえ切断できなかったのか。

 それでハッチングスは這って逃げようとしたのだろう。背後からめったやたらに斬りつけたらしい。だが致命傷には至らず、ハッチングスは苦しみながら出血多量で死んだはずだ。

 大隈は立ち上がり、下手人の手順をまねてみた。そこには武士の矜持など微塵もなく、外国人に対する嫌悪と憎悪だけがあった。

 —では、下手人は複数なのか。いや、これは一人の犯行だ。

 複数なら、ハッチングスも刃こぼれしていない刀で斬られたはずだ。しかも武士が複数いたら、寝ている人間を嬲り殺しにするようなことはしない。

 —待てよ。

 大隈はあることに気づいた。


 林と一緒に引田屋に行くと、藤花が大歓迎してくれた。

「酒と飯は後だ。まず皆を集めてくれないか」

 藤花は怪訝な顔をしながらも主人に告げ、開店前で多忙な女たちを集めてくれた。

「皆、聞いてくれ。昨年のことだが、おかしな客は来なかったか」

「こんなところに来るような客は、みんなおかしいよ」

 一人の言葉に、女たちが沸く。

「その通りだ。わしも含めて女狂いだ」

 大隈の言葉に、女たちが再び沸いた。

「では、もっと詳しく問おう。例えば—、突然笑い出したり、いや、これは酔客でもいるな。例えば、何かぶつぶつ言っている奴はいなかったか」

 女たちが左右の者と話し始めた。そのかまびすしい声は、まるで小鳥のようだ。

 しばらくして、太った女に背を押されるようにして若い女が前に出てきた。

 その若い女は小刻みに体を震わせ、大隈に視線を合わせられない。

「何か心当たりがあるんだったら、遠慮せずに申せ」

 大隈が優しい声音で問う。

「お客様に、そんな人がいました」

「どんな奴だ」

「年の頃は四十代で、こちらから話し掛けても上の空で、何かぶつぶつ言っていました」

「よし、分かった。ここに残ってくれ。ほかにはどうだ」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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