「外国官判事の大隈重信だ」
「よろしくお願いします。ところでお供の方は、どこにいらっしゃるんですか」
林が大隈の背後を見回しながら問う。
政府の顕官には、たいてい供の者が何人か付いてくる。だが大隈は、一人で行動するのを好むので供などいない。
「供などおらん」と答えるや、大隈は執務室に向かった。
そこで待っていたのは、長崎府判事の佐佐木高行だった。
「これはお久しぶりです」と大隈が言うと、佐佐木は木で鼻でくくったように返してきた。
「たいそうな出世をしたじゃないか。江戸、いや東京に行ってよかったな」
佐佐木は長崎府の実質的な頂点に立っているものの、大隈のようには、一足飛びに出世していない。
——此奴は変わらぬな。
以前から鼻持ちならないとは思ってきたが、大隈が顕官の一人になっても、それは変わらなかった。
「たまたまです。それよりも難儀な事件ですね」
さっさとこの仕事を済ませたい大隈としては、喧嘩をしている暇はない。
「その通り、実に難儀な事件だ。聞きたいか」
「お願いします」
佐々木が得意げに話し始めた。
「去年の七月五日の深夜か翌六日の早朝のことだった」
丸山の引田屋の前に二つの惨殺死体が転がっていた。その遺体は横たわった状態で斬りつけられたらしく、見るも無残な状況だった。そんな卑怯な行為を武士がやったとは、とても思えないが、それが刀傷である限り、下手人は武士に違いなかった。
イギリス領事館からも警察官が駆けつけてきて調べたところ、帽子に「イカルス」と入っており、入港中のイギリスの商船「イカルス号」の船員だと判明した。
一大事となった。
その頃、長崎にいたパークスは怒り狂い、独自に捜査を始めたところ、たまたま六日の朝、海援隊の船が出港したと分かった。下手人を海援隊士に絞ったパークスは、長崎奉行所に聞き込みを続けさせたところ、白木綿に筒袖姿の男たちを近くで見かけたという情報があった。
それが海援隊のそろい着(制服)だと分かり、パークスは長崎奉行所に、海援隊と土佐藩を捜査するよう居丈高に命じた。
これに対応したのは、土佐商会の責任者の岩崎弥太郎である。岩崎は証拠がないことを盾に、「知らぬ、存ぜぬ」を通そうとしたが、パークスも譲らず、間に入った長崎奉行所は、たまらず土佐藩隠居の山内容堂に事件を知らせた。
それで土佐から、大目付の佐佐木高行が派遣されてきた。さらに坂本龍馬も京都からやってきて取り調べに応じた。その結果、やはり証拠は出てこず、事件は暗礁に乗り上げた。
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