たいそうな出世をしたじゃないか」 |百折不撓(五) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

「外国官判事の大隈重信だ」

「よろしくお願いします。ところでお供の方は、どこにいらっしゃるんですか」

 林が大隈の背後を見回しながら問う。

 政府の顕官には、たいてい供の者が何人か付いてくる。だが大隈は、一人で行動するのを好むので供などいない。

「供などおらん」と答えるや、大隈は執務室に向かった。

 そこで待っていたのは、長崎府判事の佐佐木高行だった。

「これはお久しぶりです」と大隈が言うと、佐佐木は木で鼻でくくったように返してきた。

「たいそうな出世をしたじゃないか。江戸、いや東京に行ってよかったな」

 佐佐木は長崎府の実質的な頂点に立っているものの、大隈のようには、一足飛びに出世していない。

 —此奴は変わらぬな。

 以前から鼻持ちならないとは思ってきたが、大隈が顕官の一人になっても、それは変わらなかった。

「たまたまです。それよりも難儀な事件ですね」

 さっさとこの仕事を済ませたい大隈としては、喧嘩をしている暇はない。

「その通り、実に難儀な事件だ。聞きたいか」

「お願いします」

 佐々木が得意げに話し始めた。

「去年の七月五日の深夜か翌六日の早朝のことだった」

 丸山の引田屋の前に二つの惨殺死体が転がっていた。その遺体は横たわった状態で斬りつけられたらしく、見るも無残な状況だった。そんな卑怯な行為を武士がやったとは、とても思えないが、それが刀傷である限り、下手人は武士に違いなかった。

 イギリス領事館からも警察官が駆けつけてきて調べたところ、帽子に「イカルス」と入っており、入港中のイギリスの商船「イカルス号」の船員だと判明した。

 一大事となった。

 その頃、長崎にいたパークスは怒り狂い、独自に捜査を始めたところ、たまたま六日の朝、海援隊の船が出港したと分かった。下手人を海援隊士に絞ったパークスは、長崎奉行所に聞き込みを続けさせたところ、白木綿に筒袖姿の男たちを近くで見かけたという情報があった。

 それが海援隊のそろい着(制服)だと分かり、パークスは長崎奉行所に、海援隊と土佐藩を捜査するよう居丈高に命じた。

 これに対応したのは、土佐商会の責任者の岩崎弥太郎である。岩崎は証拠がないことを盾に、「知らぬ、存ぜぬ」を通そうとしたが、パークスも譲らず、間に入った長崎奉行所は、たまらず土佐藩隠居の山内容堂に事件を知らせた。

 それで土佐から、大目付の佐佐木高行が派遣されてきた。さらに坂本龍馬も京都からやってきて取り調べに応じた。その結果、やはり証拠は出てこず、事件は暗礁に乗り上げた。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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コメント

maito0405 こんなところにも薩長との派閥争いが。実力か、厄介払いか。目をつけられた大隈はどう解決するのやら(苦笑) 5ヶ月前 replyretweetfavorite