今、国際情勢を知りたい者は皆これを読んでいる |百折不撓(二)2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

「ところが後藤さんは、わしに長崎に残れと言うのだ」

「またどうして」

「これまでの土佐藩長崎商会の負債処理や諸費用の清算、また海援隊解散に伴う後始末をするよう命じられたのだ。それだけではない。長崎にいる外国商人への負債だけでも土佐藩の年間経費に匹敵するほどあるにもかかわらず、さらに武器弾薬を調達するよう命じられたのだ」

「そんな無茶な」

 岩崎が赤くなった目をしばたたかせる。どうやら斬られることを恐れ、ここ数日眠っていないらしい。

「どう考えても無茶だと思うだろう。だから、こうして後藤さんに考えを変えてもらうために大坂に行く」

 しかし後藤が、それを許すとは思えない。

「そうだったんですね。私には『頑張って下さい』としか言えませんが—」

「気持ちだけでもありがたい。短い船旅だが、よろしくな」

 そう言うと、岩崎は肩を落としてその場を後にした。その時、小脇に抱えていた本が甲板に落ちた。

 岩崎が落とした本を大隈が拾い、岩崎に渡した。

 —題名は『西洋事情』か。

「ああ、すまんな」

「この本は—」

「福沢諭吉という豊前中津藩士の書いたものだ」

「『西洋事情』とは、そそられる題名ですね」

「なんだ、知らんのか。今、国際情勢を知りたい者は皆、これを読んでいる」

「そうなんですか」

 大隈は知らなかった。

「わしはもう読み終わったので、なんなら貸してやる」

「えっ、本当ですか。それはありがたい」

 この時の大隈は、「どうせ耳学問の集成だろう」と高をくくっていた。

 岩崎と別れて船室に戻った大隈は早速、『西洋事情』を紐解いてみた。

 著者の福沢諭吉は大坂の適塾にも在籍したことのある俊秀で、安政六年(一八五九)の米国への咸臨丸派遣の際に乗船し、米国を実際に見てきていた。さらに文久元年(一八六一)の遣欧使節団にも参加し、欧州各国を訪れていた。

 —此奴は本物だ。

 大隈はのめり込むようにページをめくった。そこには欧米各国の地理や歴史から、政治体制、法体系、会社制度、金融、産業、科学技術まで詳しく記してあった。

 この航海で、大隈は寝る間も惜しんで『西洋事情』を読んだ。それが福沢という男との実質的な出会いとなった。


 慶応四年(一八六八)四月二十五日、大隈の姿は、大坂の本願寺別院内に一時的に設けられた天皇の御座所「大坂行在所」にあった。江戸に赴任する前に、大坂で「浦上四番崩れ」の話し合いをしなければならなかったからだ。

 大隈は井上馨と共に、三条実美と伊達宗城(宇和島藩主)を前に、キリシタンの問題について説明した。

 つい一カ月ほど前までは、公家の実質的頂点にいる三条と大名の伊達と席を同じくすることなど考え難かったが、もはや身分などに囚われない時代がやってきたのだ。

「各国公使はキリスト教の禁止を解くことと、捕らえられた信徒の解放を要求してきています」

 三条と伊達を前にしても、大隈の弁舌は冴え渡っていた。

「しかし、ここで彼らの要求に容易に屈していては、諸藩の士族は憤激し、何が起こるか分かりません」

 大隈が問題の核心に斬り込む。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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