「子どものおもちゃについて、どう考えていますか?」「買う・買わないの線引きはどうしていますか?」と、よく訊かれる。
一般的には「子どもにおもちゃを買い与えすぎるとワガママになるから良くない」という世論が浸透しているから、「やっぱり、誕生日とか特別な日にあげるだけにするべきですか?」というような意味合いの質問なのだろうと思う。
結論から言うと、私はけっこう無限に買っている。どこかにお出かけをするたびに、積極的にその界隈のおもちゃ屋さんを探しては新しいおもちゃを買っているし、ファミレスなどで食事をした場合にも料理のオーダーよりも先にレジ横のおもちゃを買っているし、ガチャガチャの前を通った時にも必ず息子側から小銭を求められるので、言われるがままにお金を渡している。
キッズパーク(子どもが遊ぶための有料施設。まるでおもちゃ天国!)などに行って「なるほど、この手のおもちゃ好きなのか」などと息子の最新の趣味を察知したら、それをヒントにネットであれこれと検索して「ねえ、このおもちゃヤバくない?!」と夫婦で盛り上がり、ねだられてもいないのに買ったりもしている。(子どものおもちゃのストライクゾーンは成長に伴ってどんどん変わる。2歳くらいだと、どんどん広がる。)
こんなにコスパの高いお金の使い方はない
私がおもちゃを無限に買う理由はいくつかあるのだけど、まず第一に、息子が喜ぶからだ。
おもちゃを買うたびに「こんなにコスパの高いお金の使い方ってないよなぁ」と実感していて、毎回「つくづく最高に有意義な買い物だ」と思っている。
このことは昔からうすうす思っていたし、息子を見ていると再確認するのだけど、人って、幼ければ幼いほどにお金が持つ価値が高い。精神的な円高状態というか、年齢が低いほどに、100円や1000円を払ってゲットできる幸福のサイズが大きい。
子どもは数百円の買い物に夢中になるし、数千円の買い物だと大興奮する。本当に、いちいち大喜びをして、心から幸せを感じてくれる。そして1万円も払えば、もはや夢が叶ったりもする。
それと比べると、大人…。
大人になったら、1万円で夢を叶えるって難しい。
2歳の息子は、3000円の電車のおもちゃ1つで何日も夢中になったりする。まさに「肌身離さず」といった状態になり、夜は抱きかかえたまま眠り、朝も目覚めたらまず一番にそれを探していたりする。そんな姿を見ていたら「買った甲斐がありすぎです!!」と思う。
大人は、3000円の買い物であそこまで幸せになれない。大人と子どもでは、課金によって得られる幸せの量に桁違いの差があると思う。人生の中で、幼児期ほどにお金で幸せを買いまくれる時期ってない気がする。
それこそ10円ですら、子どもはそこに大きな価値を見出したりする。幼少期の頃の私は、30円と50円の駄菓子に大きな違いを感じていた。50円と70円もまるで違った。
あの頃の20円の差は、今の私にとっての万単位の差に匹敵していた。だけど、大人になった今は10円なんてあってもなくても同じものだ。落としても気がつかない。
おもちゃを買うことは幼児を育てる醍醐味の1つ
そういう意味で「このくらいの課金で、こんなに喜んでもらえるのなんて、今だけのこと!!」「たかだか私の経済力で、息子にこんなに喜んでもらえるのなんて、今のうちだけ!」「何より、幸福感は体に良い!オモチャを買うことで幸せホルモンが出て免疫力が高まるのなら、それは一番コスパの良い病気予防だ!!」と思っているので、むしろ買いたい。
息子におもちゃを買い与えるたびに「ああ、なんて素晴らしいお金の使い方なんだろう…稼いだ甲斐がありすぎる!!」と感じて、私自身がとても幸せな気持ちになるから、おもちゃを買うことは幼児を育てる醍醐味の1つだとも思っている。新しいお菓子を買ってあげるのも、めちゃくちゃ楽しい。そうやって未知との遭遇をする瞬間の表情とか、最高に可愛いし、その一瞬一瞬が宝物すぎる。
ちなみに、私のスタンスが大体こんな風であることを知っている読者さんから「では、似たようなおもちゃばかり欲しがられたらどうしていますか?」「子どもって似たようなものを無限に欲しがるからキリが無いですよね?」「そこはさすがに『この前同じようなものを買ったばかりでしょ。あれでガマンしなさい』と言いますか?」と訊かれることがあるのだけれど、それについての私の答えは「買える限りは買う」だ。
なぜなら「それを言うなら、大人だって似たようなものを色々と欲しがっているし、買っているよね?」と思うから。
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