希望を打ち消す「唯ぼんやりとした不安」について

コロナウィルスの感染に関する「原因が分かる不安」と、文豪芥川の命を絶った「唯ぼんやりとした不安」は、どちらも不安ですけれど、違う種類の感情なのかもしれません。今回は土門さんからの返信、不安について。今は決めることも決めないこともストレスかもしれない。連載第7回。(毎週火曜日更新)

サクちゃんへ

こんにちは。
自宅のリビングで、今この文章を書いています。

コロナウイルスの影響でリモートワークが推奨される前から、わたしはひとりで自宅で仕事するスタイルだったので、勤務形態はほとんど変わっていません。

窓からはのんびりとした青空が見えます。
穏やかな春の日ですが、京都ではさきほど緊急事態宣言の要請が国に提出されました。
こんなに天気が良くって、お出かけ日和なのに。目に見えないのに侵食されているって、なんだか不気味ですね。

ー・-・-

「京都にいる蘭ちゃんは、この状況の中で、何が大変ですか?また、何かあたらしい発見などはありましたか?」

サクちゃんの質問に答えます。
大変なことは、「刻一刻と変化する中で、毎日決断をしなくてはいけないこと」でしょうか。

うちにはふたりの男の子がいて、上の子が小学3年生、下の子が保育園の年少の歳です。
小学校は休校中だけど、学童も保育園も開いています。つまりこういう状況下でも、日中子供を預けてわたしは仕事ができる、というわけなんです。わたしがそれを望めば。
この、「わたしがそれを望めば」がなかなか厄介だなと思いました。

今は、状況が刻一刻と変わっています。
その状況と照らし合わせて、常に「仕事をするか、予防をするか」の二択を毎朝迫られている感じです。
もっと強く言えば、「お金をとるか、命をとるか」ですよね。
そんなの命に決まってるじゃないって思うんですけど、お金がなくなることでも命って削られていく。だから単純な二項対立ではないんですよね。

正解がない中で、今いちばんダメージが少ない方法は何か、日々考え自分なりに見極めている。これは大変なことです。心労が、少しずつ積み上がっている感じ。
世の中で働いている人は、みんな同じ悩みを抱えているんじゃないかなと思います。

サクちゃんは経営者で、雇っているスタッフさんもいらっしゃるから、悩みはきっともっと複雑なのだと思います。本当にお疲れ様です。
少しでも、心身ともにゆっくりとした時間がとれますように。

ー・-・-

そんな中にも関わらず、わたし、サクちゃんの日記を読んで笑ってしまいました。
だってうれしくって。このあいだの日記のこの部分、本当に素敵な文章でした。

「もとの性格や性質はそのままでも、自分は変わらないままでも、何を捨てて、何を知るかによって、つまり知性でカバーすることで正直さは後天的に手に入れられるのだと。自分で言うのもなんですが、これって希望でしょう?」

まったくその通り。自分の手で自分の人生を変えられるのって、希望です。
何を捨てて、何を知るか。そして何を身につけるか。これらを実現してくれるのが、「習慣」ですよね。
サクちゃんは「素直さ・正直さ」を定義して、それをさらに因数分解し、習慣に落とし込んでいました。
これ、わたしもよくやります。それでしか人生を変えられないと思っているから。
習慣には、人生を変える力がありますね。つまり「習慣」こそが「希望」になりえるんだなと、改めて思いました。

ところでサクちゃん、「考えすぎ」だってよく言われませんでしたか。
わたしはよく言われていました。「幸せって何だろう」とか「自由って何だろう」とか、いちいち難しく考えすぎだって。
昔はその通りかもしれないなって思っていたんですけど、今ははっきり言えます。
難しく考えているんじゃなくて、簡単にするために考えているんだって。

「幸せ」も「自由」も、「お金」も「命」も、わたしにとっては難しすぎて、大きすぎて、手に負えないものです。
でも、それを諦めたくない。絶対に手に入れたい。自分のものにしたい。
だから自分の両手に収まるまでに小さく小さく分解して、少しでも身につけようと反復練習するのだと思います。

ある意味で欲深く、切実なんでしょうね。
そうする行為自体が、わたしにとっての「希望」なのかもしれないな。

ー・-・-

でもね、矛盾しているんですけど、時々そういうのをなぜか全部壊したくなるんです。
愚直に身につけてきたもの、切実に欲しがっているもの、全部全部、本当はいらないのかもしれないって思うことがあります。

コロナウイルスの一件で、ひとつ気づいたことがあります。
それは、わたしの本当の不安はここにはないということでした。
もちろん、とても不安です。抱えていた仕事もなくなったし、家族、友達のことも心配。将来のことなど見当もつかず、日々のニュースに一喜一憂して、うろたえたり、振り回されたりしています。
でも、予想していたよりも落ち着いているんです。そのことが自分にとっては驚きでした。

なぜかと言うと、不安の理由がわかっているからだと思います。
感染するのもさせるのもこわい、医療崩壊がこわい、経済状況や人間関係の変化がこわい。どれも、とても怖いです。
でも、理由や原因がわかっている不安は、わたしにとっては本当の不安ではない。

それよりもっと怖いのは、なぜ自分がこんなに不安がっているのか、理由や原因がわからない不安です。わたしの中には、子供の頃からそんな不安が存在しています。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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45proton ああ、同じだ。 「コロナウイルスの一件で、ひとつ気づいたことがあります。 それは、わたしの本当の不安はここにはないということでした。 」 https://t.co/yIT5CIq6yN 6ヶ月前 replyretweetfavorite

honeybee_3822 https://t.co/rUxtzg9CoT 6ヶ月前 replyretweetfavorite

restart20141201 ぼんやりとした不安 https://t.co/rLWrS3wGxS 6ヶ月前 replyretweetfavorite

fune_wo_koide 目を背けられない 視線を外せない距離に常に居る 不安と共に生きていく 6ヶ月前 replyretweetfavorite