「向後、薩摩藩が出過ぎたことをしてくることも考えられます」
「出過ぎたこととは」
「閥を作り、政府を牛耳ろうとするでしょう」
「貴藩はそうしないのですか」
井上が手を叩いて喜ぶ。
「さすが切れ者の大隈殿だ。皮肉が効いている」
「それはどうも。ですが古来、血を流して天下を取った者は、見返りを得ようとするのが常でしょう」
「確かに、われらは多くの屍を野辺に晒してきました。しかし最終段階で薩摩が主導権を握ったのも確か。しかもわれらは四境戦争で借りがあります」
最終段階とは小御所会議から鳥羽・伏見の戦いを指すのだろう。
四境戦争とは幕府側の呼び名では、第二次長州征伐になる。この時、薩摩藩が外国商人から最新兵器を買い、それらを長州藩に提供したことで、長州藩は滅亡を免れることができた。
「それで貴殿は、われら佐賀藩と水面下で手を組みたいと仰せですね」
「そういうことです。佐賀藩の立場はよくない。此度もあったように薩摩に『佐賀藩は佐幕派だ』と指摘され、討伐の対象にされるかもしれません。その時、われらが口添えすれば、無駄な血を流さなくて済むでしょう」
井上の言っていることは尤もだった。だが大隈一個の判断で決められることではない。
「水面下と言っても、私の一存では決められません」
「当然のことです。今の段階では、われら長州に薩摩の暴走を阻止する手立てを講じようとする意志があることを知っていただければ、それで結構。できればお仲間にも内密にお伝えいただきたい」
「お仲間というと——」
「まずは義祭同盟の皆様」
「分かりました。それは構わないのですが、藩全体としては、隠居(閑叟)に話を通さねばなりません」
井上が驚いたような顔をする。
「貴藩では、いまだ藩主やご隠居が主導権を握られているのですか」
「はい。言うまでもなきこと」
大隈にとって、それは当然のことだった。
「まあ、それについて他藩の者がとやかく言うべきではありませんが、われらだけでなく薩摩にしろ土佐にしろ、すでに藩内の有為の材が藩の主導権を握っています」
確かに、薩摩の小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通、長州の木戸孝允・伊藤博文・井上馨、土佐の後藤象二郎・板垣退助らは、藩主や隠居の代理のような立場からも脱し、藩の意志を代表している。
——われらは遅れているのか。
佐賀藩はあまりに閑叟の存在が大きく、いまだ閑叟を中心にして、すべてが回っていた。
「では井上さんは、これからの世は、われらのような下級武士が動かしていくと仰せか」
「その通り。今の地位や家柄は全く関係ありません。大切なのは才覚です」
「才覚ですか」
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