二年から三年は内戦が続くでしょう」|百折不撓(一) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 一月十八日、各国公使や事務官を長崎会議所に招いた諸藩士たちは、外国人の通行の安全と従来と変わらぬ通商を保証した。その一方、関税は従来通りに納めてもらうと釘を刺すことも忘れなかった。

 この時、諸藩の代表として外国人に説明をしたのが副島だった。各国の公使やその代理がこれに合意したので、これを京都の新政府に伝えるべく、副島と薩摩藩士一名が京都に向かった。

 京都に着いた副島は、西郷隆盛、岩倉具視、三条実美らと面談し、速やかに新政府の官吏を送るよう進言した。

 これにより二十五日、九州鎮撫総督兼外国事務総督に公家の沢宣嘉が、総督府参謀に長州藩の井上馨(聞多)が任命され、二月十五日に着任する。

 その下には、佐々木高行が長崎裁判所参謀助役に任じられ、まもなく大隈と松方正義も同職に就き、三頭体制となった。この時、大隈は初めて中央政府の役職に就いた。

 大隈の仕事は、ここからだった。

 大隈が担当するのは外交事務という分野で、長崎において諸藩と外国商人たちの間で争われていた訴訟を、長崎奉行所に代わって処理していくことだ。

 大隈がまず行ったのは、各国の公使や事務官に「日本人に対する訴えや債券の請求は二カ月を期限とし、それ以降は受け付けない」と宣言し、国ごとに訴えをまとめさせたことだ。この間に安政以来の諸条約を検討し、国際法を改めて読み返した大隈は、次から次へとやってくる外国公使や事務官たちと折衝を重ね、いくつもの不正請求を摘発した。

 それだけでなく「公平」を重んじ、明らかに日本側が悪い場合は、外国人の訴えを認めたので、外国人たちからも信頼を勝ち得ることができた。

 かくして膨大な事務量になると思われた諸外国の訴訟を二カ月で終わらせた大隈の手腕は、高く評価されることになる。


「まずは一献」

 その男は五尺(約百五十一センチメートル)前後の身長しかないにもかかわらず、よく食べ、よく飲む。

「井上さんも行ける口ですな」

 大隈は自分の盃を空にすると、井上の盃に酒を満たした。

 長州藩士の井上は、大隈より二つ年上の三十三歳になる。

 盃を一気に飲み干した井上が問う。

「ここには、よく来られるのですか」

「以前、引田屋には月に二度ほどは来ていましたが、今回着任してからは、初めての登楼となります」

 大隈は悪びれず答えた。というのも井上は、引田屋で桁違いの厚遇を受けていたからだ。

 井上がいかにも自慢げに問うてきた。

「こちらの茶屋には、いらしたことがありますか」

 引田屋の中庭は広く、「花月」と呼ばれる茶屋が設えられていた。今宵は井上のおかげで、引田屋で最高の場所と言われる「花月」で飲むことができた。

「初めてです。よいところですね」

 二月は長崎でも寒い。そのため障子は締め切っているが、ここに渡る途次に、篝に照らされた庭を見ることができた。

「われらは、ここでよく飲みます」

 井上が、酌をしている馴染みの女と顔を見合わせて笑う。大隈の馴染みの藤花も隣にいるが、かなり見劣りするので、井上が引田屋でも最上級の女と懇ろになっていると分かる。

 —此奴らは、藩費を自由に使って飲んでいたというからな。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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