作家になるから、幡野さんに聞いてみた
私は、幡野広志さんが好きだ。
どれくらい好きかって言うと、ドラえもんくらい好きだ。
のび太が困ったときにドラえもんを頼るのは、ひみつ道具がほしいわけではないと思う。
ドラえもんはのび太を、無条件に信じてくれるからだ。
とりよせバッグも、石ころ帽子も。
どんなひみつ道具も、のび太の失敗力には敵わない。
どうせ、失敗するというのに。
それでもドラえもんは、のび太を助ける。
のび太の行動にぶつくさ文句をこぼし呆れることはあっても、のび太の人柄を否定することはない。
失敗したらともに悲しみ、成功したらともに喜ぶくらいで、あとはさほど期待をせず、のび太を信じて待っている。
だからのび太は、泣きべそをかいて、自分をさらけだし、ドラえもんを頼る。
私はそれを「愛」と呼んでいる。
愛とは期待も見返りもなく、ただ、信じることを言う。
我ながらよくもこう、調子の良いことを思いつくもんだ。
ともかく、私は、幡野さんは愛のある人だと思う。
幡野さんが、ウルトラかわいい息子の優くんについて語るとき、それはそれは、静かな愛にあふれている。
幡野さんの人生相談連載「なんで僕に聞くんだろう。」は、優くんに聞かれたつもりで答えているそうだ。良い。
なにが良いって、その答えには嘘も期待もない。
ただ幡野さんが思ったことが、ただ書かれている。良い。
読後の心の軽やかさたるや、琴欧州のブログに匹敵する。
私は昔から、家族以外の人に、本音を言えなかった。
嫌われるのが怖かった。
どんなにニコニコしている人でも、私の一言で、その表情が曇る瞬間を見るのが、怖かった。
だから私は、それなりに嘘をついて、それなりに生きてきた。
楽だけど、ちょっとだけ、寂しかった。
そんなときに、幡野さんと出会った。
私と母と弟の写真を、東京駅をぶらぶら歩きながら、撮ってくれた。
幡野さんは私がなにを言っても、なにをぼやいても、私にアドバイスを押し付けることもなく、変わることなく、ただただフラットに「ぼくはこう思う」「それは良いね」と、自分の気持ちを教えてくれた。
めちゃくちゃ嬉しかった。
一回会っただけだけど、幡野さんにはなんでも聞けたし、とりあえずなにかに悩んだら、ドラえもんの次に、幡野さんを思い浮かべた。
私は10年勤めた会社を辞め、作家になることを決めた。
大学生のときから会社にいたので、正直、一人で立っていくというのは、おそろしい。
昨日も確定申告で必要な領収書の束を、提出目前で紛失し、泣きながら徹夜で家探ししたら、炊飯器の中から発見した。
そんな女が、本当に、一人でやれるのか。
漠然とした不安につつまれていると。
ケイクスさんから「幡野さんに質問して記事を書かないか」とお声がかかった。渡りに船ならぬ、渡りにケイクスだった。
私はホイホイと、幡野さんへ会いに行くことになった。
死ななきゃ、なんとかなっちゃうから
「奈美ちゃん! こっち、こっち」
指定されたカフェに入ろうとすると、幡野さんの声がした。
びっくりした。
テラス席だった。
この日の最低気温は2度だった。
しかも幡野さんはオレンジジュースを飲んでいた。
風の子か。
その方が明るいし、気持ちいいかなと思ったそうだ。
風の子か。
私は幡野さんに、会社を辞めて、作家になることを伝えた。
幡野さんは「そっかそっか」と、一緒に喜んでくれた。
「今日は、作家になる私の悩みを聞いてもらおうと思って」
「うん。なんでもどうぞ」
「まず、住む家が見つからないんです」
「そこから!?」
そう。私は焦っていた。
社宅を出る日まで、あと14日を切っていた。
次の入居者が控えているので、なにがなんでも引っ越さねばならない。
でも、住む家が見つからなかった。
第一に、時は大引っ越しシーズンで、あらゆる物件が埋まっていく。
この日の朝も、内見の予定があったが、物件に先約が入りオシャカになった。
第二に、私が探している物件の条件が、なかなか厳しかった。
車いすに乗る母が頻繁に仕事で泊まりにくるので、駅から近く、平らなルートで、段差ができるだけない広い家を探していた。
第三に、お金の面での信用がなかった。
奨学金を借りているのと、母と弟に障害があり、祖母が高齢で、なにかあった時の支払い能力が低いと判断され、保証の審査に落ちた。
審査が一発芸ならば通過する自信があったが、こればかりはどうしようもない。
毎日、毎日、不動産屋に問い合わせてはダメの繰り返しで、ミカン箱で原稿を書く作家を、この令和の時代に再現してしまう……と青ざめた。
「もう、一生見つからない気がしてきて、泣きそうです」
すると、幡野さんは、ケロリとした顔で言った。
「俺も実は、家借りられないの」
「えっ!? な、なんで? 死ぬから?」
死ぬから!?!?!?!!
とんでもねえ返しをしてしまった、と愕然とした。 隣に母がいたら、迷いなく私を平手打ちしていたと思う。パァン!
幡野さんは、がんだった。
「死ぬから(笑)」
幡野さんは、うなずいた。
なんで私がとんでもねえ返しをするくらいびっくりしたかと言うと、幡野さんほど人柄もよくて、社会的信用がある人でも、病気というだけで借りられないのか、とショックだったからだ。
「俺がオーナーだったら絶対、俺に貸さないもん。死んじゃうかもしれないじゃん。事故物件になっちゃうじゃん」
自分が事故物件を爆誕させるかもしれないという話で、こんなに愉快そうに笑う人が世の中に存在するのか、と衝撃を受けた。
「だから俺、事務所借りたくても、借りれないんだよね」
「私がオーナーだったら、諸手を挙げて貸します」
まさかの、家を借りられない者同士が邂逅してしまった。
「でもね、これは病人的発想なんだけど」
病人的発想というパワーワード。初めての枕詞である。
「死ななければ、なんとかなっちゃうんだよね。だから、最近の俺の判断基準は、死ぬか死なないかになってる」
急にサバンナの掟みたいなことを言い始めたと思ったが、いったん、話を聞いてみることにした。
幡野さんは、最近、飛行機に乗り遅れたそうだ。
仕事が終わり、送迎の車に飛び乗った。
高速道路をビュンビュン飛ばし、ガッツンガッツン跳ねる車内で、幡野さんは「あ、これは死んじゃうかも」と唐突に思ったらしい。
だから、運転手さんに「飛行機に乗り遅れても死なないですが、今これで死んじゃうかもしれないので、急がなくて良いんですよ」と伝えたという。
運転手さんはさぞかし、反応に困っただろうなと思う。
「そんなわけで、まあ別に死なねえしな、で最近は判断してる」
「なるほど……。私も家見つからないですけど、死にはしないですもんね」
「うん。なんとかなるし、奈美ちゃんなら、なんとかなっちゃうよ」
そうだ。ミカン箱がマイデスクになっても、母が泊まれない広さでも、それで死ぬことはない。生きようと思えば、なんとかなるのだ。
私はぜんぜん、詰んでいない。
家が見つからないことで、先の見えない不安がいくつも出てきて、打開できない自分の自信を、どんどん失っていたことに気づいた。
「そうかあ、そうですよね。死ななきゃいいんだ」
他人を頼ることに対し、迷惑をかけて申し訳ないから一人で解決しなければならないと思っていた私は、「申し訳なさで死ぬことはねえな」と思い直し、いっそ泣いて頼ることにした。
オーナーに口利きをし、条件ぴったりの家に住まわせてくれるという恩人が現れたのは、幡野さんと話した5時間後のことだった。
すごい。
病人的発想、かなり良いかもしれない。
なんか、こう、運が向いてくる気がする。知らんけど。
幡野さんは「まあでもあんまり死なねえしな、って言ってると、バカに拍車がかかっちゃう感じにはなるけども」と言った。
(次回は4月21日掲載予定)