サクちゃんへ
こんにちは。
サクちゃん、春が苦手なんですね。わたしもすごく苦手です。1年のうちで、いちばん気分が不安定になるとき。今年もまた、変わらず不安定です。
でも桜はやっぱりきれい。鴨川沿いは、一気に桜色になり壮観です。
「桜林」、響きの美しい苗字です。お互い、名前に花の名が入っているのも共通点ですね。
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さて、2週間ほど前に、スマートフォンからTwitterとFacebookのアプリを消しました。
わたしは少し活字中毒なところがあり、昔から暇さえあれば活字を読んでいたんです。
そんなわたしにとってSNSは格好の媒体。どんどん更新されるし、内容もおもしろくて刺激的で。でも、だんだんそれが自分を蝕んでいることに気がついたんです。
誰かの発言に対し、誰かがリアクションする。それがおもしろいはずなのだけど、「アクション→リアクション」の流れを多く目にすることによって、「こういうことを言うとこういうふうに言われるのだな」という型を知ってしまいました。
それはいい働きをすることもあります。現代の価値観を知ることができるし、人を傷つけない言い方を学ぶこともできる。でもその型を知りすぎて、いつの間にか他者のリアクションを内面化してしまっていることに気がつきました。「こんなことを書くと、誰かにこんなふうに批判されるのでは」と、リアクションの内容が具体的に想像できてしまう。
すると自然な流れとして、自分の言葉でものを話すのが怖くなってきてしまったんです。これには困り果てました。
わたしの仕事は、書くことです。しかもその内容は、客観的事実よりも主観的事実のほうを多く含みます。それなのに、批判されることを想像しすぎて書けなくなってしまうのでは、仕事にならない。
それで危機感を覚えて、SNSから距離をとることにしたんです。
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わたしが惹かれるのは「自分ひとりの言葉を持っている人」であり、わたしが大事にしているのは「自由」。
それならば、「蘭ちゃんにとって『自由』と『言葉』はもしかしたらとても似ているのかもしれないね」 とサクちゃんは書いてくれました。本当にその通りです。
以前書いたように「自由」が「壁に囲まれた個人の領域」であるならば、わたしの求める「自分ひとりの言葉」はそこで生み出されているように思います。
そしてわたしは、その言葉を伝えることを仕事にしている。
だから、SNSが「壁に囲まれた個人の領域」を侵食しているのに気がついて、距離を置いたのだなと今理解しました。
勇気を出して、「自分ひとりの言葉」を文章にして伝える。結果、読んでくださった方にもまた、その人自身の「自分ひとりの言葉」を感じてほしい。それを持っていていいのだと思ってほしい。
わたしが持つ、ひとつの野望のようなものです。
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