※これまでのお話は<こちら>から。
2020年1月に、NHKスペシャル『認知症の第一人者が認知症になった』という番組が放映された。
認知症医療の第一人者であり、『痴呆』という名称を『認知症』に変更した長谷川和夫さん。ご自身が認知症になったことを公表し、その後の生活を追ったドキュメンタリーだ。
その中で、長谷川さんの日記にあった英語の走り書きが強く印象に残った。
Where am I?
Where is Mizuko?
Mizuko=瑞子さんは長谷川さんの妻である。
一瞬で、これは父が書いたのではないかと錯覚するくらいに、スッと心に入ってきた。
そして、気がつけば私は番組を見ながら、ボロボロと泣いていた。
長谷川さんは、自身の認知症についてこう話す。
『生きている上での確かさが少なくなってきた』
ーその言葉が、強く私の耳に響いて、残った。
『確かさ』って、なんだろう?
番組を見終わっても、その単語はしばらく私の頭に張り付いていた。
そして私は、改めて父のことを思い出していた。
「確かさ」を与えてくれる人
― 2017年 父65歳 母61歳 私32歳 ―
父は、家の中でいつも母のことを探していた。
一緒にリビングでごはんを食べた後、父はそのままそこでテレビを見続け、母は自分の部屋に戻る。それがだいたい、日々の習慣になっていた。
そして、20分ほどすると、父が母の部屋をノックして、「いるの?」と覗く。それも日課の一つになりつつあった。
さっきまで一緒にいたことも、もう父にとっては確かではない。父にとって、今目の前にいない人は『消えた人』になる。
『妻が消えた。一体どこにいるのだろう? そもそも家にいなかったんだっけ? 僕はひとりだったんだっけ?』
色々な『?』で埋め尽くされては、いてもたってもいられなくなり、家の中で母を探しはじめるのだろう。母の姿を確認すると、「あ、いたのか」と安堵したように、部屋の扉を閉める。
長谷川さんは、長年身の回りの世話をしてくれている妻の瑞子さんについてこう話していた。
自分自身のあり方がはっきりしない。その時に目の前に瑞子さんがいるということが、長谷川さんに確かさを与えてくれるという。
父の「いるの?」にも、そういう意味合いがあったのだろうか。
だからこそ、母のがん発覚後、検査入院をしたとき、『母が家にいない』という事実は父に大きなショックを与えた。目の前にいない母を探して、父が『お見舞いに行かなければ』という思いを持つのは当然のことだった。
父の叶わぬ願い
その日は母の体調が安定しなかったため、私は急遽予定を変更し病院へ行くことにした。
出がけに父が、「俺、今日お母さんの病院に行こうと思うんだけど」と、決意したように言ってきた。服も珍しく朝から自分で着替えていた。
最近外は炎天下だし、病院も把握していない父が、一人で行くのは不可能だ。調子が安定しない母に父を会わせるのは母への負担も大きい。私が今一緒に連れて行ったとしても、病院の後に予定もあるので、父を連れては帰れない。
「今日は無理だよ、今度一緒に行こう」先を急いでいた私は手短に答える。
「一人で行けるから大丈夫」食い下がる父。
「いや、無理だよ、病院の場所もわからないでしょう」
「教えてくれればいけるよ、どこだよ」
何度かの押し問答の末、時間が迫り説得も煩わしくなり、私は病院名も告げないままに「もう知らない、勝手に行けば?」と吐き捨て、さっさと出かけた。
そう言ってはきたものの、気がかりだった。今まで徘徊はしたことがない父だが、本当に一人で行こうとしたらどうしよう。気になってしょうがなかった。
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