清香さんは、呆然としているわたしを静かに諭す。「あのね、本当は人が人を採用するって、とっても重いことなの。病気になったから1週間後にはいさよなら、なんてできないのよ」「でも……」「ああ、いいわ。お金がないんでしょう。あたしがいい弁護士を紹介してあげる。さすがに無料ってわけには行かないけど、安くしてもらえるわ。賠償金のうちのちょっとは弁護費用に取られちゃうけど、でも手元にまとまった額は残るでしょう」清香さんはそのほっそりした手で、力強くわたしの肩を揺さぶった。「しっかりしなさい。やられっぱなしじゃダメ。自分の人生をふいにされることを、許してはいけない」清香さんの思わぬ剣幕に驚いて顔を見ていると、ふと視界がじんわりと滲んでくる。涙を落とす代わりに、わたしは何とかうなずいた。
結果的に、清香さんに紹介してもらった弁護士を仲裁人として、会社と労働争議を起こすこととなった。まさか弁護士を立てて来るとは会社側も思っていなかったのか、裁判を恐れて数ヶ月後にすぐに和解となった。その間、段取りは全て弁護士がつけてくれたので、わたしはただ事実を話すだけで済んだ。そして手元には百万円弱の賠償金が戻って来た。
全ての決着がついたあと、清香さんにすぐにお礼を言いにいった。この恩は絶対に一生忘れません、と清香さんに頭を下げると彼女はちょっと黙ったあと、体には気をつけなさいとだけ言った。そのあと、わたしはすぐにエスメラルダを辞めることになり、彼女とも連絡が取れなくなってしまった。それだけが今でも少し心残りだ。清香さんがどうして偶然職場が同じというだけのわたしに、ここまでしてくれたのかはわからない。でも、彼女の行為は確かにわたしの支えになっていた。前に進め、と言われたような気がして。
きらびやかな世界から降りたわたしは、いくつかのアルバイトを詰め込んで、毎月ギリギリの生活に舞い戻る。イベントスタッフ、デパートの販売員、ホテル従業員。今日生きるためだけに、働き続けた。毎日こんな風に、擦り切れて生きていくのもしょうがないことなのかもしれない。そんなわたしのところに、画面の向こう側から一つのヒントがもたらされた。
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