「絆?」
それは店に入って初日に見た光景で、最初につけてもらった席での出来事だった。店の古くからの常連客とこれまた長い付き合いのある係のお姉さんの席で、どうやら前勤めていたクラブから連れてきたお客さんらしい。銀座で固定客を持っているのは別の店からの引き抜きが基本で、新規から指名客にするのは容易ではない。銀座で遊べるような客層は限られているから、最初に常連になってもらうにはハードルが高く、店を替わっても来てくれるぐらい馴染みになるには時間と積み重ねが必要になる。でもその分、固定客になってくれれば友人のような関係性ですらある。
わたしが席についたお姉さんは、ちょっとルーズなところがある人で、歯に絹着せぬようなこともいう。新人のわたしが口にしたら叱られるようなことでも、平気で話す。こんなことしちゃだめでしょ、あれは面白くなかった、ああした方がいいんじゃない?聞いているこっちがたじろぐような本音がぽんぽん飛ぶ。それでも、馴染みの年配のお客は嬉しそうにニコニコ聞いている。本音と毒舌を楽しみにしているような節すらあった。下手に出ること、演技をして相手の理想のふりをすることが当たり前と思っていたわたしには、およそ信じられない行為だった。二人が目を合わせるたびに、そこには確かに親愛と、絆があった。怯えも不安も虚飾もない、人としての強さと信頼。肩書きも職種も上下関係も超えた結びつき、そして、揺るぎなさ。
求められること。わたしのなかで何かがカチリとはまった。役割記号としてじゃない、会社員でもホステスでも女性としてでもない、単純な要求を満たせる手頃な相手を超えて、わたし自身として求められたい。替えのきく誰かじゃなくて、わたしを。ここで頑張って働いていれば、わたしにもあんな風になれる時期が来るのかもしれない。それまでは何とか自分に与えられた役割をこなして、徐々に自分としての色を出していくのだ。自分を見出してくれる人が、いつか現れるに違いない。いや、作るのだ。わたしは期待にはやる胸を鎮めながら、いつも以上の熱意を込めて二人の会話に相槌を打った。
ホステスとして働き続けよう、そう意気込んでいたわたしに暗雲が立ち込めてきたのは、他でもない憧れのホステスの一人、チーママである亜矢さんのせいだった。
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