転んでもただでは起きない

俳優の妻として、またモデルやヨガセラピストとしても活躍中の堀本陽子さん。飾らず、自然体でおおらかな性格の彼女の日常を切り取ったエッセイが大好評連載中!

今回は、人生で転んだときにこそわかること、そんなときに考えるべきこと、できることについて。この騒動時期、自分を改めて見つめ直すいいきっかけになるかもしれませんね。

これは私が人からよく言われる言葉です。自分ではそんなつもりはないのですが、周りから見るとそう見えているようで・・・ある時からは自分でも意識するようになったと思います。

このことは、私が今まで47年間の人生の中でよく転んでいるということにも繋がります。そんな風に見えないと言われそうですが、実際めっちゃ転んでます。

先日ある仕事場で、共演者の方に、「堀本さんは成功者!」と持ち上げていただきましたが、「どこが?」とびっくりしました。確かに夫はありがたい事に役者のお仕事を途切れず頂き、息子も順調に成長していて家庭は円満でその事には感謝と幸せを感じますが、私自身は何を成し遂げた訳でもなく、「成功者」では決してないと思います。

旦那さんや子供の事(わかりやすいのが学歴や仕事、何かで賞をとった事など)をまるで自分の手柄のように話す人がいますが、大抵そういう人は自分のことは棚に上げてしまっています。逆に言うと、そういう意味で(旦那と子供の見え方から)私が「成功者」に見えるのでしょうか?!

モデルである程度お仕事もさせていただいてきたし、副業として、ヨガのインストラクター、貸しスタジオ経営もしてはいますが、見るべきは「今」であり、「自分」ではないでしょうか。

今、世の中は「コロナ騒動」の真っ只中であり、都知事から「自粛要請」が出されています。こんな時、ただただ家に居ることしかできない自分の無力さを感じてしまいます。

小さな失敗は数々ありますが、私の人生で最初に大きく「転んだ」のは中学受験当日に、38度の発熱をした事です。

塾からはその中学の英数クラス(特進クラス)に間違いなく入学出来るであろうと言われていたのに、高熱の影響もあり、結果は標準クラス(一般クラス)の補欠合格でした。しかもその高熱も次の日には下がったと記憶していますので、緊張から来る知恵熱(ストレス性高体温)だったのではないでしょうか。情けない・・・。ですが、入学してからの定期テストを頑張った結果(中高一貫でしたので、)、高校に上がる時は英数クラスに入れました。ちなみに四天王寺学園という教室から四天王寺の五重の塔が見える仏教女子進学校です。

次に「転んだ」のは高校2年の修学旅行でした。これは実際に転びました。ローラースケートで。

鹿児島県の指宿市のとある施設で各々自由に遊んで良い時間というのがあって、私は運動神経に自信のある友人と共にローラースケートを選択しました。そして、ひとり緩やかな坂道を下って行ったのですが、その坂道が途中でカーブしていてめちゃくちゃ長く、どんどん加速がついて自力では止まることが出来なくなり、前を歩いている子達を巻き込んではいけないと思い、咄嗟に右側にあった芝生にダイブして止まりました。

結果右手首骨折(ヒビ)、右太腿はひどい擦傷を負いました。

あと半分くらい旅行工程が残っていたのですが、指宿のお医者さんは捻挫という診断だったため(大阪で再診察してもらった結果骨のヒビが見つかり、次の日から急にギブス)、参加継続していましたが、毎晩右手が疼いて眠れませんでした。完全に自分が悪かったです。

指宿の病院までタクシーで連れて行ってくださった先生、私のせいでローラースケートが禁止になった後期出発の皆様、本当にご迷惑をおかけして、すみませんでした。

利き手の骨折はその後半年近く不自由で、ノートもきちんと取れず、受験勉強のやる気をなくす原因の一つになりました。

そんな中、私は自分の「生きる道」を考え、英数クラスでただ一人、「受験をしない」という選択肢を取りました。

運よくモデル事務所にご縁をいただき、高校卒業後は、「就職」というかたちで上京しました。

半年後なんとか「自分の力で生きていける」目処がついてきた私は、自分が何者であるかを考え始めます。

大阪では高校の名前を言えば「おー!」と感心してもらえていたけど、東京にきてみると、そんな一地方の高校名、誰も知らないし、真面目にモデル業で生計を立てていてもなんか「遊んでる」「ニート感」を持たれてしまう事を肌で感じてきました。(「他人のひと言からくるダメージ・・・」参照)

そして東京での自分の世界の狭さ・・・就職で来ているのですから当たり前なのですが、出会うのはお仕事関係の人ばかり・・・これでいいのかな、と考えた18歳の私は、あんなに嫌いだった受験勉強が恋しくなってきます。

学ぶことの大切さ、面白さ、またどこかに所属することの安心感、新たな人間関係を求めて勉強を始めました。

転んでますね。

転ばないと解らなかったんですね、大学進学の意味が。

でも私は、「自分の力だけで生きてみたい」と、偉そうに家を出てきたので、ここから仕事をセーブしてガッツリ予備校に行ったり、「仕送りをもらって大学生活を楽しむ」身分ではありません。

そこで見つけたのが「社会人入試」。

仕事は真面目にやってきているので会社(所属事務所)からの推薦状は頂けますし、試験内容が論文と英語と面接ということで、これならなんとか仕事をしながらでもクリアできるのではないか、しかも夜学なら、仕事帰りにも行けるし学費も安いし一石二鳥であると思い、独学でがんばりました。

論文は高校時代の先生に送って添削していただき、Z会の全国模試でも手応えがありました。

英語は単語などかなり忘れていたので電車で単語帳をめくるのもなんか新鮮でした。

面接は、オーディションを山ほど受けていたのでなんとなく大丈夫かなと。


福岡ラジオで共演したルーシー、演技のレッスンで知り合った友達と

結果、青山学院第二部文学部教育学科(心理学専攻)に無事合格を頂き、青山キャンパスに4年間通いました。当時所属事務所も南青山にあり、通いやすい場所であったこともこの大学を選んだ理由の一つでしたので、ここ1校しか受験しませんでした。コテコテの仏教校からキラキラのキリスト教校への進学となりましたが、そこは宗教へのこだわりが薄い日本人、なんの違和感もなかったです。

夜学ということを今まであえて言ってなかったのは「なんか苦労してきた感じ」を出したく無かったのと、高学歴の人が「なんだ夜学か」とばかにする傾向があるからです。結局は「自分をよく見せたい」「見栄」ですね。

青山学院というと、芸能人やモデルの出身者も多く下から(小・中・高から)のお金持ちのおぼっちゃま、お嬢様が沢山いるイメージですが、夜学になると雰囲気はガラリと変わります。教育学科ということもあってか、既に教職についている方、看護婦さん、新聞配達員など学生というよりは「社会人」の方々がたくさん在籍していました。

それは私には居心地が良く、ここに来なければ出会えなかったタイプの人達と出会えたこと、いろんな話が出来たことがその後の人生の「宝」になったと感じています。

モデルの繋がりから、昼間に通う女子学生とも友達になりましたが、彼女はやはりお嬢様でとても恵まれた環境にあり、可愛く素直ないい子でしたが、なんか違和感というか「ノリ」の違いを感じました。

教員免許を取得するかどうかは少し悩みましたが、「モデル業を続ける」「教師にはならない(なれない=そんな人格者ではない)」と思い、その時いただいていた仕事をコツコツとこなしました。

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わたし役者の妻で、モデルで、母です

堀本陽子

俳優の妻として、またモデルやヨガセラピストとしても活躍中の堀本陽子さん。最近では、バラエティ番組にも出演し、飾らず自然体で、実は、サバサバしていておおらかな性格が話題に。そんな堀本さんの日常を切り取ったエッセイが連載開始! 人気俳優の...もっと読む

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irasally 前からこのエッセイ好きで読んでいたんだけど、今回のでますます好きになった。 https://t.co/YRkpmYza9F 7ヶ月前 replyretweetfavorite