美登さんに、こってり絞られたんでしょう」|疾風怒濤(十五) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

十五


 ほとんど無罪に等しい謹慎処分を下された大隈は、意気揚々と自宅に戻った。

 表口で「帰ったぞ」と言うと、廊下を走ってきた熊子が笑顔で飛びついてきた。

 下男の爺も喜んで足を洗ってくれた。

「いい子だ、いい子だ」

 熊子を抱き上げて居間に入ると、美登が正座して待っていた。

「お帰りなさいませ」

「今、帰った。いやー、疲れた。飯にしてくれんか」

「処分はどうなったのですか」

「とくにお咎めなしだ。謹慎ということだが、江藤さんのように自由に動けそうだ」

 この後、すぐに二人は謹慎を解かれ、長崎に向かうことになる。

「それはよろしかったですね」

 いつになくよそよそしい美登の態度に、ようやく大隈も、美登が怒っていると覚った。

 だが大隈は遊んでいたわけではない。憤然として言い返した。

「何か言いたいことでもあるのか」

「とくにありません」

「そんなことはあるまい。何かあれば忌憚なく言ってくれ」

「では—」と言うと、美登の態度が改まった。

 それを察した大隈は、膝の上に載せていた熊子に「外で爺と遊んでいろ」と言って背を押した。

 熊子がいなくなり、美登の顔つきはさらに厳しいものになった。

「これまで我慢に我慢を重ねてきましたが、もはや我慢も限界です」

「ちょっと待て。どういうことだ」

「どうもこうもありません。あなた様は妻子眷属のことを考えず、勝手気ままに生きています」

「勝手気ままと言われても困る。藩のため、お国のためによかれと思ってやっている」

「私に何のお話もなく脱藩したということは、もしも逃げ回ることができたら、二度とここに帰ってくるつもりはなかったのではありませんか」

「それは—」

 大隈が言葉に詰まる。後先のことは一切考えていなかったので、その可能性はなきにしもあらずなのだ。

 大隈が苦し紛れに言う。

「副島さんも一緒だ。あれほどのお方が、脱藩せざるを得ないと決断したのだ。それだけ国家が、存亡危急の秋を迎えているのだ」

 美登がはらはらと涙をこぼす。

「あなた様はご存じないのかもしれませんが、副島様は奥様に、切々たる情を吐露した書簡を出していました。それで副島様の奥様がいらして、あなた様も一緒に脱藩したと初めて知ったのです。副島様の奥様は、私に『あなたもご存じだと思うけど—』と話し始めたんですよ。最初は何のことだか分からず、私はとんだ恥をかいてしまいました」

 —副島さんも人が悪い。

 副島は大隈には何も言わずに、妻あてに書簡を書いていたのだ。

 手巾で目頭を押さえ、美登は泣いていた。

「あなた様が藩の仕事で危ない目に遭うのならまだしも、私に何も言わず脱藩するとは、どういうことですか。下手をすると扶持米を止められ、私と熊、そしてあなた様のお母様は、路頭に迷うところだったんですよ」

 大隈は謝るべきだと思った。

「それはすまなかった。だが国事に奔走する者は、家族など顧みてはいられないのだ」

「だからといって、何の相談もなく勝手をなされては、妻としての立場がありません。これからも、あなた様が何を仕出かすか分からないと思いつつ暮らすのですか」

「そうは申しておらん。世の中が変われば、わしは勝手なことなどしない」

「それはいつなのですか」

「いつと聞かれても、何とも答えようがない」

「いつまで待っても世の中が変わらなければ、また脱藩なさるのですか」

「二度もやったら、さすがに寛容なご隠居様も許してはくれまい」

「では、もうなさらないと思ってよろしいのですね」

 大隈がきまり悪そうに答える。

「ああ、脱藩はしない」

「約束していただけますか」

 —とは言ってもな。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への...もっと読む

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