1. 新卒3ヶ月で第一志望だった渋谷の会社をクビになる
なんとか今この瞬間を乗り切らなくては。周囲に人がいる、この今だけは。
わたしは重だるくて今にも止まってしまいそうな手をなんとか伸ばし、目の前にあるのに遠く感じるキーボードに文章を打ち込み、急ぎの資料を完成させようとしていた。真っ赤に充血しているであろう目をさらに見開き、そこにある情報に誤りがないか入念に確認する。
わたしの席はずらりと長いデスクスペースの島の中間に位置していて、ひと席後ろ側では同期たちが同じく資料の準備に躍起になっているし、目の前のパソコン越しのちょうど左前には、静かに新入社員の働きぶりをチェックする女性上司の目が光っている。
ドロドロと奈落の底に落ち込んでしまいそうな体を叩き起こし、目の前にある情報を高速で組み立てていく。この瞬間さえしのげれば、悪い波はそのうち引くはずだ。
2016年5月。わたしは渋谷道玄坂にある人材研修会社で、新卒として働いていた。企業への研修提供と講師派遣を業務とし、元はベンチャーだがそろそろ中堅どころに差し掛かろうかという頃合いで、会社利益も安定拡大中だ。給与もそこそこで風通しもよく、学生人気企業ランキングにはさすがに入らないが、キャリアを最初に積む場所としては最適だった。人と触れ合う仕事がしたい、できれば紋切り型の提案ではなくて、個人の趣向に寄り添えるような何か。そう考えていたわたしには、まさにピッタリの仕事だった。そんな願ったり叶ったりの会社に、わたしが晴れて入社したのはちょうどひと月前のこと。
同期の前では一丁前に学生時代に戻りたいねなんて言うようになったけれど、会社という大きな枠組みに所属し、その中で安定して生活を送れることには正直ホッとしていた。毎月の固定給、そして会社員という一見、不名誉に見えて普遍的な肩書き。窮屈な実家を飛び出して、自分ひとりで生活できるようになったのも大きい。わたしの家にはいつも父の声が鳴り響いていた。それはたいてい、母を責め立て怒鳴りつける声で、そのたびに母は縮こまって小さくなっていた。よくある家庭の不幸話だ。そして父の声が遠ざかると、途端に母はわたしに擦り寄ってくる。噛んで含めるみたいに猫かわいがりするか、または話し相手や慰め、時には父との仲裁役としてわたしを求めた。子どもの頃は母のお世話役になれることが嬉しかったけれど、徐々に息苦しくなり、側にいられなくなり、やがて他に居場所を求めるようになった。これまたよくある話。別に、わざわざ人に語るほどの物語じゃない。
将来の安定した地位を獲得するために、学生時代は都内の有名私大でひたすら真面目に学んだ。気になることへの追求を惜しまず、専攻したかったジェンダー・セクシュアリティの分野をより深く学ぶために編入までした。就活のときも入念なリサーチを重ね、吟味した数社しか受けていないのに、苦戦する同期たちを尻目に、第一希望のこの会社に入社することができたのだ。
井沢さんはすごいよね、しっかりしてるね。
入社が決まったときに、同期が言ってくれた言葉をたまに思い出す。そのたびに自分の心のうちの、一番底にある強固な土台に触れたような気持ちがした。これがわたし、わたしはうまくやってる、なんの不足も問題もない。唯一気がかりなのは、仕事中に時折訪れるようになった、この眠気ぐらい。
「井沢さーん、資料はもうできてるー?」
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