1億円プレイヤーに「努力」「頑張っている」感覚はない
「努力は尊い」と思っている人は少なくないと思う。
特に、旧世代1億円プレーヤーは努力という言葉が大好きだ。だから若者に対しても叱咤ばかりする。たとえば「死に物狂いで努力しろ」「がむしゃらにやれ」「今はしんどくても耐えろ」などと。
書店でそういう自己啓発本を見かけると、著者のほとんどは旧世代だ。そうやって成り上がってきた成功体験を持っているから当然でもある。そうした主張は、むろん現代でもある程度は通用するので全否定されるものではない。
一方、新世代1億円プレーヤーはそういう「熱さ」を持っていない。持っていても内に秘めている人が少なくない。
では新世代1億円プレーヤーは「努力」をしないのだろうか。
いや、傍から見るとやっていることは努力そのものなのだが、本人たちに「努力している」とか「頑張っている」という感覚がない、という表現が適しているだろう。「頑張ろう」とか「努力しよう」などと自分からは言わないし、他人にも言わない。
「自分だって頑張ってます!」などとアピールする発想は微塵もない。「頑張っているのに報われない」などと嘆くことなど、さらにあり得ない。
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