次郎長、甲田屋を追い出される

【第9話】
古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として、圧倒的な鮮やかさをもって現代に蘇らせる。月一回更新。

次郎長が直の金を盗んで出奔したことがわかって、次郎八はもはや夜分であるのにもかかわらず、出入りの者を呼びにやった。

 日頃、世話になっている甲田屋にお家の大事が出来したらしい、これはなにをおいても駆けつけなければならぬ、というので、忠義なことだ、出入りの熊五郎という者が夜分であるのにもかかわらず、すっとんでくる、その熊五郎に次郎八、声を潜め、

「熊五郎の親方、実はこうこうこうこうこういう訳で次郎長が家を出た、それについておまえさんに……」

 と話をしかけたところみなまで聞かないで熊五郎、

「えええええええっ、するってぇとなんですかい。お宅の長五郎さんがお直様の金を盗んで逃げたってんですかい」

 と大声を出し、次郎八は慌ててこれを押しとどめた。

「しっ、声が高い。丁稚どもに聞こえたら、彼奴らは口が軽い、すぐにご近所に知れてしまう。どうぞ小さな声で話しとくれ」

「こらどうも相済みません。で、手前はなにをすればよろしいんで」

「言わずと知れたこと、すぐに追っかけてって次郎長を連れ戻して欲しいンだ」

「ようがす。そいじゃあ、行って参ります」

「待て待て、おまさん、次郎長が西に向かったのか東に向かったのか知ってるのかい」

「あー、それを聞くのを忘れてた」

「こんな人だよ。いいか、次郎長は江戸に向かったに違いない。東海道を東に向かったのだ。あー、ちょっと待て、これは取りあえず渡しておく。また、次郎長が戻って落ち着いたら後でなにするから。じゃ、頼んだよ」

「へい。ありがとう存じます。あー、こらまた仰山に……、って、ところで」

「なんだ」

「次郎長さんが金をお盗りになって、家をお出になったと伺いましたが……」

「お盗りなった、ってのは妙だ。けどそうだよ」

「どれほどお持ちになったんでしょうね」

「それはおまえ……、いくらだろう、直、次郎長はいくら持って逃げたんだ」

 熊五郎に問われた次郎八は、今更ながらそれを聞いていなかったことを思い出した。次郎八は青い顔をして隣に座っている直に問うた。

「直、次郎長はいくら持って逃げたのだ」

「そ、それは……」

 と直は答えに詰まった。なぜなら直が行李の中に入れていた金は次郎長が睨んだとおり、店の金をごまかした金であったからである。

「そんなことどうだっていいじゃあありませんか」

「そりゃあそうだが、次郎長が誰かに唆されて金を騙し取られたり、博奕の負けをやくざに脅し取られたりしていることも考えられる。私たちはそれを知っとくべきだ。さあ、言いなさい。次郎長はいくら持って出た。おまえはいくら行李に入れていたのだ」

 そこまで言われて黙っては居られず直はついに言った。

「四百五十ですよ」

 言われて次郎八は、拍子抜けした、という顔で言った。

「たった四百五十文、そんなわずかな銭で、おまえはあんな声を出したのか。それくらい、どうだっていいじゃないか」

「いえ、そうではなく」

「じゃあ、なんだ」

「四百五十両ですよ」

「四百五十両だとおおおおっ」

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BL古典セレクション 東海遊侠伝 次郎長一代記

町田康

古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として...もっと読む

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machidakoujoho 勘当されました。|BL古典。 6ヶ月前 replyretweetfavorite