写真:アマナイメージズ
選手を再生させたのは他にやりようがなかったから
人間には生まれ持った才能や素質というものがある。
誰にも得手不得手があり、もともと得意でないことを無理にやらせても、周囲から抜きんでる存在になることは難しい。
プロ野球の世界でいえば、足が速い・肩が強いというのは生まれながらの才能であって、努力してどうなるものでもない。どの選手もある程度の素質を持ってプロの門をくぐってくるが、超一流になれる才能を持つ者の数は限られる。
だが、才能に劣るからといって、あきらめるのは間違っている。
長年の指導者生活を通じて、私は「弱者が勝つための方法」を追求してきた。
私自身、選手としては飛び抜けた才能に恵まれていなかったから、劣等感をバネに努力できたのだと考えている。指導者になってからも、伸び悩む選手、自信を失っている選手に何とか変わってほしいと思いながら接していた。
まずは他人と差があること、自分は劣っていることを認めて、受け入れる必要がある。
そうしてその差を自分の頭で考えて、努力によって埋めていく。
それこそが、弱者が強者に勝つための唯一の道だといえる。
私が初めてプロ野球の監督になったのは34歳のときだ。南海ホークスのプレーイングマネジャー、つまり選手兼監督として指導者のキャリアをスタートした。その後にヤクルト、阪神、シダックス、楽天でも指揮を執り、シダックスを含めると27年にわたる監督生活を通じ、日本一も3回経験させてもらった。
思うように能力を発揮できずにくすぶっている選手、キャリアの盛りを過ぎて他球団をお払い箱となった選手を何人も戦力として生き返らせてきたせいか、「野村再生工場」などと呼ばれるようになった。
だが、「選手の再生」などと、大仰な目標を掲げて監督をしていたわけではない。
そもそも選手を再生させたのは、他にやりようがなかったからだ。
最初に監督をした南海という球団には資金力がなく、有力な選手を獲得するわけにもいかない。トレードにしても、他球団がいい選手を出してくれるはずもないから、自前で選手を育成するしかなかった。
根っからの苦労性・貧乏性というのだろうか、持って生まれた役回りというのだろうか。私には、大金を投じてスター選手をはべらせるようなチームづくりができなかった。
ただ、選手一人ひとりに自信をつけさせ、自分から変わるための手助けを続けてきたという自負はある。
プロになり一軍に上がっても到達点じゃない
伸び悩む選手、自信を失っている選手に共通しているのは、「自己限定」である。
「自分の力はこの程度だ」
「現状が精いっぱいであり、これ以上の成長は無理だ」
「このくらいやれれば十分ではないか」
選手たちはこう考えている。要するに、自分でつくった殻に閉じこもっているのだ。
では、なぜ彼らは自分の能力や可能性を自ら限定してしまうのか。現状に満足して納得してしまっているからだ。特に、プロ野球選手になれた、一軍に昇格できた、あるいは過去の一時期に活躍できたというだけで満足してしまう選手が多い。
「プロに入った、一軍に上がったというのは到達点じゃない。出発点にすぎないんだぞ。決してそれを間違うな。現状に満足してはいけない」
私自身、ミーティングで選手に向かって何度となく繰り返した記憶がある。
一生懸命やってても自己満足にすぎない
選手としては「一生懸命やっているのだから、言われなくてもわかっている」と反発する思いもあっただろう。だが、やはり私には現状に満足しているように感じられる。彼らは自己限定の範囲で一生懸命やっているにすぎない。
プロ野球選手として一定の成績を挙げている限り、ある程度はいい生活ができる。周囲の人から、もてはやされる。そんな環境に慣れていくうちに、こう思ってしまう選手が出るのも無理はないのかもしれない。
もちろん、豊かな時代に育った選手たちに、私のようなハングリー精神を求めても仕方がないのはわかっている。満足からくる妥協、自己限定を突破するような強いモチベーションを維持しにくいという現状は無視できない。
しかし、だからこそ、あらゆる手段を用いてモチベーションを高めようと考えていた。選手に自信をつけさせ、本当の才能を引き出すのが最大の仕事だと思っていた。
選手が自分の殻を破り、見事に変わる瞬間に幾度となく立ち会えたことは、自分にとって大きな喜びであり、また財産でもあった。
野球は「頭のスポーツ」である
では、選手が自信を取り戻し、自分の殻を破るために必要なこととは何だろうか。
私はそれを「愛情」だと考えている。
私がプロ野球の世界に入った頃は、戦術・戦略がほとんど確立されておらず、バッターは「来た球を思い切り打つ」、ピッチャーは「速い球を思い切って投げる」という程度の方針でプレーをしていた。
深く考えない野球。結果がよければ評価され、悪ければ叱られるといった、場当たり的な野球である。特に、選手が失敗したときの叱責や罵倒には目に余るものがあった。
当時は、軍隊式の指導が幅を利かせており、上の意見には絶対服従。鉄拳制裁など日常茶飯事だ。「恐怖で人を動かす」が模範にされていたような時代である。
だが、私はこういった風潮には迎合せず、理をもって戦うことを信条にプレーをし、また後輩たちにも接してきた。「野球は頭のスポーツである」と考え、データを収集・分析していた。指導者になってからは、選手たちにも考えてプレーする野球を実践させた。
選手に知識を教えるのではなく「愛情」を持つ
ただ、それらを一方的に選手に叩き込もうとは思わなかった。指導者の言葉なら無条件に聞いてもらえると思うのは誤った考えだ。聞く側が「もっと野球を知りたい」「うまくなりたい」と思えるように導いていく必要がある。
指導者はついつい自分の知識を教えたくなるものだが、それ以前にやるべきなのは、じっくりと選手を見ることだろう。まずは興味を持ち、常に気にかけて、選手の未来を思いやることだ。言い換えれば、愛情を持つということに尽きる。
「こいつを何とかしてやりたい」
人間だから、愛情を持って接すれば必ず気持ちは伝わる。親子の関係であろうが、男女の関係であろうが、変わらない。愛していると愛していないは、お互いが敏感に感じ取れるものだ。
選手一人ひとりの長所や短所、性格などを知る。その上で、どうしたら選手が活躍できるかを考え、適切なタイミングで声をかけていく。
決して簡単ではないが、これを地道に繰り返す以外に選手の未来を変えることはできない。
本連載では、私がどんな方法で選手が変わる手助けをしてきたのか、それを改めて振り返ってみたい。スポーツはもちろん、社会で指導者の立場にある人たちに少しでも役立つことがあればと願うばかりである。
【編集部から】本連載は2019年10月から11月にかけて野村克也氏にインタビュー取材を行い、「教え方」に関する意見をまとめたものです。野村氏のご冥福を心よりお祈りするとともに、関係者の皆さまのご協力に対し感謝を申し上げます。
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