嫌なことはしない
書店はつまらん、若手論壇もつまらん、そもそもネットもつまらん──となってくると、なんか頑固親父みたいですよね。大学も辞めちゃったし……。
ゲンロンもいつ潰れるかわからないから、この連載が本になるころは路頭に迷っているかもしれないわけですが……なぜこういう生き方を選んだのかと考えてみると、ぼくは会社勤めができない体質なんですよね。なぜかといえば「通勤電車に乗りたくない」から。
これは本当の話で、ぼくは中学、高校と通学時間片道一時間で、毎朝満員の田園都市線に乗っていたんですが、これがもう苦痛で苦痛で仕方なかったんです。朝起きたくないというより、通勤電車に乗りたくなかったんですよね。あれは単に苦しいだけじゃない、人間の尊厳を奪うものですよ。少なくとも当時のぼくはそう思っていて、それがトラウマになり、あらゆる定時出勤が苦手な体質になった。もしぼくの実家が都心にあり、満員電車に長時間乗らなくていい環境だったなら、いまもぼくは大人しく大学教授をしていたかもしれません。
ぼくはそもそも、毎週何曜日の何時にこれをする、といったルーチンが苦手なんです。一年後の今日、二年後の今日も同じ場所で同じ仕事をしているのかと思うと、それだけで耐えられない。むろん常識で考えれば、予定が確定している方が安定した人生ということになるのでしょうが……。しかし、安定とはなんでしょうね? 先日、田原総一朗さんになぜ大学を辞めたのかと問われました。ぼくは「もし自分が五〇歳くらいで死んだとすると、大学に居続けたことを後悔すると思ったから」と答えたんですね。田原さんは笑いましたが、じつは本質的な問題だと思うんです。
最適よりも偶然に身を曝せ
そもそも人生はいつまで続くのか。まったく保証はないわけです。そして、人生はいちどきりだから、平均寿命がどうあろうが、自分が死んだら終わりです。そのとき、統計的に標準な人生に基づいたライフプランに従い、リスクヘッジをすることがほんとうに正しいのか。
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