「教えないコーチは名コーチ」
本連載のタイトルで「教え方」と銘打っておいて矛盾するようだが、私が考える教育の理想は「教えないこと」だ。メジャーリーグには「教えないコーチは名コーチ」という格言があるという。まったく同感である。
現在のプロ野球では、バッティング、ピッチング、守備・走塁、バッテリーなど、分野ごとにコーチが置かれており、それぞれが専門的に技術的な指導を行っている。彼らの中には、教えることが仕事だと思っているのか、何かにつけ、選手のやり方に口を出しては指導をしたがる者もいる。
だが、手とり足とりの指導、「ああしなさい」「こうしなさい」という教えすぎは、決して選手のためにはならない。
コーチに言われたことを、言われた通りにやっていると、選手は自分で考えることをしなくなる。教えてもらわないと動かないように習慣づけられてしまう。最後には「教えてもらっていないからできない」とクレームを言い始める事態も起こりかねない。
だから私は折に触れ、コーチをつかまえては「なるべく教えるな」と言い続けてきた。
ヤクルトの監督時代、ピッチング練習を見ていたときのことである。
ほとんどのピッチャーが、ワインドアップでゆったりと振りかぶって投球している。こちらが指示をしない限り、小回りの利くセットポジションで投げようとするピッチャーは、ほとんどいない。
しかし、試合中にピッチャーが直面する場面を考えてみてほしい。一死一塁、一死一・二塁、一死満塁……アウトの数と出塁したランナーの組み合わせを数えれば、全部で21通りある。すべての組み合わせの中で、ランナーがいないケースがいくつあるかといえば、無死、一死、二死のたった3つである。
それ以外のケースでは、いつでも盗塁やバント、ヒットエンドランに対応できるよう、必然的にセットポジションでの投球をすることになる。そうであれば、日頃の練習の段階からランナーがいることを想定して投球練習をする必要があるだろう。にもかかわらず、ほとんどのピッチャーが漫然とワインドアップで投球していたのである。
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